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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジョン・H・ワトスン(John H. Watson)は、アーサー・コナン・ドイルの推理小説『シャーロック・ホームズシリーズ』の登場人物。軍医を経た後開業医となった。名探偵シャーロック・ホームズの友人であり、伝記作家。ホームズシリーズのほとんどの作品はワトスンを語り手としており、彼自身がその物語を書いたことになっている。日本語ではワトソンと表記されることも多い。 ==人物== 少年時代を家族と共にオーストラリアで過ごす。ロンドン大学卒業後、聖トーマス病院に入って医学博士号を取得、第二次アフガン戦争に軍医として従軍し、英軍が敗れたで負傷した〔負傷箇所については、足という記述と肩という記述があるが、「痛みの移動」の表れかも知れないため、どちらが本当の傷なのかは論議の的になったり、パロディ物のワトソン役のネタにも扱われたりすることもある。また、足という説のうち、詳しくは左足という説がある。〕。傷病兵として本国に送還され、ロンドンで下宿を探していた際、友人のスタンフォードにホームズを紹介され、ロンドンのベーカー街221Bで共同生活を始めるようになる。当初はホームズの行動に対して懐疑的だったが、『緋色の研究』事件においてホームズと共に事件に関わり、ホームズの探偵としての姿を目の当たりにすることとなる。そして、ホームズが事件を見事に解決したにもかかわらず、その手柄をレストレード警部らに全て取られる形となったことを(ホームズ自身は気にしていないが)不満に思ったワトスンは、ホームズの活躍をいずれ物語として世に発表することを宣言する。 『四つの署名』事件で知り合ったメアリー・モースタン(Mary Morstan)と結婚し、いったんベイカー街を出たが、『空き家の冒険』の後でホームズとの共同生活に戻っている。その理由として、メアリーとの離婚、あるいは死別等諸説があるが、ワトスン自身が「悲しい別離」と語っていることから、死別であったとする説が一般的である。いくつかの事件の年代と結婚についての記述が矛盾することや、ずっと後年の『白面の兵士』ではワトスンが妻のためにホームズと別居していたという記述があることから、メアリーとの結婚が終わった後メアリー以外の女性と再婚していたとする説もある。 『四つの署名』で、父親の名前の頭文字がHであり、物語で描かれた時期よりかなり前に亡くなったことや、兄がいたことが語られている。 ロンドン大学卒業と公言しているが、『競技場バザー』ではエディンバラ大学卒業とし、医学博士号についても同文中で医学士であるとホームズに言われているため、研究者からは諸説が唱えられている。 ワトスンのファーストネーム「ジョン(John)」については、妻が「ジェームズ(James)」と呼びかける場面(『唇のねじれた男』)があり、ホームズ研究者(シャーロキアン)達を悩ませてきた。1943年にドロシー・セイヤーズが「ドクター・ワトソンの洗礼名」を発表し、ミドルネームのHが「ジェームズ」のスコットランドにおける呼称である「ヘイミッシュ(Hamish)」なのであろうという解決策を提示している。そしてなぜ妻がジョンと呼ばなかったかについては、彼女の父親の死に関係したジョン・ショルトー少佐(Major John Sholto)と同じ名であるため、嫌ったのだとしている〔ドロシー・セイヤーズ「ドクター・ワトソンの洗礼名」植村昌夫訳『シャーロック・ホームズの愉しみ方』平凡社新書、2011年、85-94頁〕。 当人が『四つの署名』で記述しているところでは、「三大陸にまたがる女性遍歴」を持つ。この「三大陸」はアフガニスタンへの従軍経験を持つことなどから、「アジア・アフリカ・ヨーロッパ」のこととする見方が強いが、(少年時代を過ごした)オーストラリアを含める説や、当人が語っていないだけで、アメリカ大陸へ渡った時期もあるのではないかとする説もある。ホームズも「女性は君の領分だ」(『第二の汚点』)と認めたほどだったが、(少なくとも当人の一人称による作中では)本人が豪語するほど「女たらし」な一面は描かれていない。 ワトスンはこれまで失神したことがなかったが、『空き家の冒険』で死んだはずのホームズと再会した際に初めて気を失ったとされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・H・ワトスン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Dr. Watson 」があります。 スポンサード リンク
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