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ドーム型テント(''Dome tent'' )はドームの形状をしたテントである。 == 歴史 == ルーツは中華人民共和国北部やモンゴル国で使われるゲルに求められるのではないかと考えられている〔『山への挑戦』pp.187-208「登山道具は語る(テント)」。〕。 極地探検用のアークティック・テントを経て発達し、ドーム型テントとして最初に使われたのは1933年にH・ラトレッジが率いたイギリスの第4次エベレスト遠征隊によりキャンプ3Aと4で使用された例とされる〔。エリック・シプトンによるとこのテントの床はφ460cmの円形で、フレームは竹製、その上に布をかけ、内側にも布を吊り下げた二重構造で、その間隔は30cmほどもあったのでストーブを焚くと非常に暖かく快適であったという。キャンプ3Aでの使用についてエリック・シプトンは「たいへん心丈夫であり、風の襲撃に対しても平気であった」「建てるのに骨が折れたが、一度建ててしまうと、よく建てられた丸太小屋のように居心地が良かった」と信頼を置いたし、ブリザードが吹き荒れたキャンプ4での使用についてフランシス・シドニー・スマイス(''Francis Sydney Smythe'' )は「私たちは極地型テントをどれほど有難いと思ったことか。それは全く雪をとおさず、ただ人をとおすためにフラップを開けたとき、一、二度だけ、こまやかな粉雪が奔流のように流れ込んできたことが、あるにはあった」と深く感謝している〔。しかしこれも布地はナイロン、フレームは超ジュラルミンや炭素繊維製となった現代的なドーム型テントとは基本的に違うもので、重量や耐風性は無論のこと、凍結による設営撤収の困難の差は極めて大きく、特に風当たりが強かったキャンプ3Aではすんでのところで飛ばされるところであった〔。 日本でいち早く目をつけたのは京都帝国大学(現京都大学)で、1934年から1935年にかけての白頭山遠征に使った〔。隊長の今西錦司は「第一前進キャンプ、第二前進キャンプではともに、一九三三年のエベレスト登山隊が使った極地式円型天幕に倣って、新たに作らせたものを用いてみたが、たいへん成績がよくて、特に風に対して強いことは、十分体験できたように思う。第一キャンプは十人、第二キャンプでは八人収容することができたが、この収容力も外観に比してはるかに大きい」と満足している〔。 しかしその後もあくまでテントの主流はウィンパー・テントであり続けた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドーム型テント」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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