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ジオマンシーまたはゲオマンシー(geomancy、ギリシア語: γεωμαντεία)は、土や石や砂を手に握り、それを地面に投じてできたパターンを解釈して行う占いの一種である。土占いとも。最も広く流布したジオマンシーの方式では、16種類の形を再帰的にあてはめて解釈し、占星術的解釈とからめて行うことが多い。 アフリカおよび中世とルネサンス期のヨーロッパで流行し、社会のあらゆる階級で行われた。17世紀まで本や論文が出版されていたが、オカルトが流行らなくなると共に出版も下火になった。近年、John Michael Greer の作品などで再び注目されるようになり、主なオカルトサークルでジオマンシーが行われるようになっている。 == 歴史 == ジオマンシーはギリシア語の ''geōmanteía'' に由来し、「大地による予言」を意味する。これは、アラビア語の ''‛ilm al-raml''(砂の科学)を翻訳したものである。ギリシア語ではそれ以前に ''raml''(砂)という単語をそのまま使い、''rhamplion'' または ''rabolion'' と呼んでいた。アラビア語ではジオマンシーを ''khatt al-raml'' あるいは ''darb al-raml'' とも呼ぶ〔Skinner, Stephen (1980). ''Terrestrial Astrology: Divination by Geomancy.'' London: Routeledge & Kegan Paul Ltd. pp.14-5〕。 ジオマンシーは中東のアラブ世界で理論付けされたが、文献がないため詳細は不明である。それぞれの形の名称は、ペルシャ起源を除いてアラビア語起源である。錬金術の文書ではインドがジオマンシーの起源だということが示唆されているが、Skinnerはこれをありそうにもないことと考えている〔Ibid. p. 17〕。アラブ商人の交易域が拡大することで文化や知識のやり取りがあったことから、アラブあるいはイスラムで発生したと考えられる。サハラ以南のアフリカで行われていた Ifá や sikidy といった占いに理論付けしたものとされている。これらの占いはアラブ世界での占いに基づくか同時に発展した。二進法の使用はアフリカの平原の文化によく見られる特徴である〔Eglash, Ron (1997). "Bamana Sand Divination: Recursion in Ethnomathematics." ''American Anthropologist, New Series'', Vol. 99, No. 1 (Mar., 1997), pp. 112-122〕。 ヨーロッパでは中世初期からアラビア語の文献や論文の翻訳が始まり、ジオマンシー関連の文献もそのころ伝わった。イシドールスは、火占い、空気占い、交霊占いなどとともにジオマンシーを占い法のひとつに挙げているが、その用途や方法は記していない〔Skinner, Stephen (1980). ''Terrestrial Astrology: Divination by Geomancy.'' London: Routeledge & Kegan Paul Ltd. p. 88〕。イシドールスがジオマンシーと記したのは、現在知られているジオマンシーではなく水晶占いとも考えられる。12世紀中期の詩人 Bernardus Silvestris の ''Experimentarius'' という詩は、占星術的ジオマンシーの作品を韻文にしたものである。ジオマンシーに関する論文で最初にラテン語に翻訳されたものとしては、Hugh of Santalla が翻訳した ''Ars Geomantiae'' がある。そのころには中東やアフリカのアラビア語を話す地域でジオマンシーが占い体系として確立していたはずである。他にもクレモナのジェラルドが、それまでは無視されていた占星術的要素と技法を取り入れたジオマンシーに関する文書を翻訳した〔Ibid. pp. 94-7〕。それ以降、多くのヨーロッパの学者がジオマンシーを研究・実践し、多数の論文を書いた。中でもハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ、Christopher Cattan、John Heydonの著作が有名である。しかし17世紀以降、科学革命の隆盛によってオカルトや占いへの興味が衰えていった。 19世紀になると Robert Thomas Cross、エドワード・ブルワー=リットンらの活動によってオカルトへの関心が高まり、Franz Hartmann が出版した ''The Principles of Astrological Geomancy'' によってこの占い体系への関心が再燃した。この本やもっと古い本に基づき、黄金の夜明け団がジオマンシーなどのオカルトに関する知識の収集を開始し、アレイスター・クロウリーが様々なオカルト知識の集大成となる本を出版した。しかし、黄金の夜明け団のメンバーには古いオカルト技法を学び、練習し、教える時間があまりなかったため、占いや儀式の精巧な体系が圧縮され、プロセスの多くが失われた。実際、本来のジオマンシーにはパターンを認識する技量とその解釈の複雑な技能があったが、彼らはそれをいくつかの図形に基づいて事前設定された答を選ぶという方式に圧縮してしまった。 他の占い体系と同様、ジオマンシーにも神話的起源がある。あるアラビア語のヘルメス主義文書によると〔Brenner, Louis (2000). "Muslim Divination and the Religion of Sub-Saharan Africa." ''Insight and Artistry in African Divination.'' ed. John Pemberton III. Smithsonian Institution Press. pp. 50-1〕、イドリース(またはヘルメス・トリスメギストス)の夢枕に天使ジブリールが現れたという。イドリースが教えを乞うと、ジブリールはジオマンシーの図形を描き始めた。何をしているのか訊ねると、ジブリールはイドリースにジオマンシーの技法を教えた。この秘密を守るため、彼はジオマンシーの本を書いたとされるインドの王 Ṭumṭum al-Hindi を捜し求めた。この本は秘密の仲間を通して Khalaf al-Barbarĩ の手に渡り、彼がマディーナまで赴き、預言者ムハンマド自身がイスラム教に変換した。占いの技法を知っていることを告白し、彼はイスラム以前の預言者もジオマンシーを知っていたと説明し、ジオマンシーを学ぶことで誰でも預言者が知っていることを知ることができるかもしれないとした。 ジオマンシーの起源についての別の神話にもイドリースが関わっている〔Maupoil, Bernard. "Contribution àlétude de l'origine musulmane de la géomancie dans le Bas-Dahomey." ''Journal de la sociéte des africanistes", volume 13, pp. 17-8.〕。神に祈るとイドリースは容易に生きていける方法を教えられた。イドリースは働くこともなく退屈に1日を過ごし、暇にまかせて砂に絵を描き始めた。すると見知らぬ人が現れ、何をしているのかと訊ねた。イドリースはただ遊んでいるだけだと応えたが、相手はひどく真剣そうに見えると応じた。イドリースは疑い深くそれを否定しようとしたが、相手はイドリースの描いている図形の意味の重大さを説明した。彼はイドリースに別の絵を描くよう命じ、イドリースが従うと再びその図形の意味と重大さを説明した。2人はこれを続け、イドリースは16種類の図形を発見し理解することになった。その人物はイドリースにそれらの形の形成方法と解釈方法を教え、通常の知覚だけでは知りえないことを知る方法を教えた。イドリースがジオマンシーを習得したことを確かめると、その人物は自分が天使ジブリールであることを明かすと姿を消した。イドリースは神と神のメッセンジャーに感謝し、誰にもその秘密を明かさなかった。彼が亡くなる前にジブリールが教えてくれた技法を記した本を書いた。 古代の記録から、イドリースは預言者ダニエルまたはエノクとされている。これによりジオマンシーは神からの正統な贈り物という説明がなされ、さらに預言者の1人が実際にそれを行っていたのだという正統性が与えられた。しかし、イブン=ハルドゥーンの ''Muqaddima'' などジオマンシーを否定する立場からは、それがイスラム以前の知識体系であり、コーランの啓示によってそのような認識論は過去のものになったとしている〔Brenner, Louis (2000). "Muslim Divination and the Religion of Sub-Saharan Africa." ''Insight and Artistry in African Divination.'' ed. John Pemberton III. Smithsonian Institution Press. pp. 50-1〕。 ジオマンシーの発展と変遷の中で、様々な物語や劇が技法としてのジオマンシーを話の中に組み込んできた。『千夜一夜物語』の中のある物語では、アフリカ人魔術師とその兄弟がアラジンを探すのにジオマンシーを使っている。印刷された物語で初めてジオマンシーを登場させたのは、ウィリアム・ラングランドの『農夫ピアズの夢』で、その中でジオマンシーは天文学に必要な知識と不当に比較されている。1386年のジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』では、「牧師の話」の中でジオマンシーをからかいの対象として登場させている。シェイクスピアとベン・ジョンソンもジオマンシーを喜劇的息抜きとして扱っていた。ダンテ・アリギエーリの『神曲』でもジオマンシーをついでのように参照している。その「煉獄篇」の一節に次のような部分がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジオマンシー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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