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ジグメ・エーセール・ティンレー(, ラテン文字転写: )は、ブータンの政治家。同国首相を3期務めた(第2・7・12代)。下院議員。 日本の報道では「ジグミ・ティンレイ」とも表記される。 == 経歴 == 父は歴代国王の側近であった〔『朝日新聞』2008年3月27日〕。1976年、アメリカ合衆国ペンシルベニア大学で公共政策の修士号を取得。帰国後は国家公務員となり〔、様々な官職を歴任した。 1998年、国民議会における閣僚候補信任投票で候補中最多票を獲得し、閣僚評議会入りして外務大臣に就任した。また、任期中に閣僚評議会議長(閣僚輪番制の首相相当職)も務めた。2003年、閣僚評議会の改組で再度信任投票を受け、再び最多票を獲得する。閣僚評議会では内務文化大臣に就任し、閣僚評議会議長も務めた。 閣僚在任中、1期目の1999年6月、2期目の2006年10月に1回ずつ訪日した〔外務省「各国・地域情勢 ブータン王国」 (2008年3月25日閲覧)〕ほか、2005年にも訪日し、愛知万博に足を運んでいる。 2007年8月、ブータンで新たに組織された政党の1つであるブータン調和党(DPT)の党首に選出された。翌2008年3月24日、初の普通選挙による国民議会(下院)選挙で、DPTはサンゲ・ゲドゥプが率いる国民民主党(PDP)を破り、全47議席中45議席を占める圧勝を収めた。この結果、同年4月9日にジグメ・ティンレーはブータン史上初の民選首相に任命された〔Kuensel Online 2008/04/09His Majesty to confer Dakyen on PM today (2008年4月9日閲覧)〕。 首相就任後、それまでのほぼインド一辺倒だったブータンの外交を、多方面への拡大路線に変更し、特に中国に接近している。この動きに、インドは補助金などの支援を減らした。ジグメ・ティンレー政権が倒れた後、インドは減らした支援を復活させている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジグメ・ティンレー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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