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ジズヤ : ウィキペディア日本語版
ジズヤ

ジズヤ (jizya または jizyahアラビア語: جزْية; トルコ語:cizye)は、イスラム諸王朝における人頭税
== 概要 ==
ジズヤは、イスラーム草創期にイスラーム政権の庇護を受けたズィンミーから徴収される貢納や租税一般を指したものであった。内容は地域差がおおよそあったが、大体においては地租と人頭税を併せたものであった。しかし、ウマイヤ朝末期以降にイスラームへの改宗者が増大すると、ジズヤをズィンミーから徴収される人頭税、ハラージュを地租・土地税とする用語法上の区別が定着するようになった。つまり、イスラーム政権が「ズィンマの民(ahl al-Dhimma)=ズィンミー」に対して下す「庇護(ズィンマ)の賦課」として租税という性格が明確化されるようになった。ウマイヤ朝では、首都ダマスクスのあるシリア近辺に住む改宗ペルシャ人などは、イスラーム大征服時代の初期段階でムスリムとなったにもかかわらず、アラブ人ムスリムとのあいだに税負担の不平等があることに大きな不満をつのらせていた。同王朝第8代カリフウマル2世は、こうした不満をみてとり、また、ズィンミー(異教徒)のイスラームへの改宗を奨励しようとして、ズィンミーとマワーリー(非アラブ人改宗者)の租税負担に差を設ける必要をうったえ、マワーリーからのジズヤ徴収を停止しようとした。ホラーサーン総督ジャラーに対して「メッカの方向をむいて礼拝する者には、すべてジズヤを免ぜよ」と命じたのは、そのあらわれである。その命令によって集団的な改宗が起こり、税収が打撃を受けたため、ジャラーは、税金のがれのための手段として改宗しているだけだから、その証しとして割礼を義務づけるべきだと申し出た。しかし、ウマル2世は「神は割礼のためにムハンマドをつかわしたのではない」と応えたという〔岩村(1975)p.246-247〕。
8世紀半ばのアッバース革命によって、「神の前におけるムスリムの平等」が実現し、それまでの非アラブ人に対する税制上の差別待遇が撤廃された。ムスリムであれば非アラブ人であってもジズヤは課されず、その一方で「アラブの特権」は排されて、アラブ人であっても土地を所有していればハラージュ(土地税)が課されるようになったのである。こうして、ジズヤはもっぱら非ムスリムに対するものとなったが、16世紀以降イスラーム王朝としてインドを支配したムガル帝国第3代皇帝のアクバルは、インドにおいて多数派であるヒンドゥー教徒の宥和のため、1564年、ジズヤの徴収を廃止した。ただし、第6代アウラングゼーブは非ムスリムに対するジズヤを復活している。
非ムスリムはジズヤを支払うことにより、制限つきではあるもののズィンミー(庇護民)として一定の生命財産・宗教的自由の保証が得られた。ジズヤは本来聖書を奉ずるユダヤ教徒キリスト教徒、いわゆる啓典の民に対するもので、それ以外の非ムスリムには改宗を迫ることが原則だったが、イスラーム世界の拡大によって実質的にはすべての非ムスリムに対するものとなった〔コーランの中でのジズヤへの言及としては第9章29節の「アッラーも、終末の日をも信じない者たちと戦え。またアッラーと使徒から、禁じられたことを守らず、啓典を受けていながら真理の教えを認めない者たちには、かれらが進んで税〔ジズヤ〕を納め、屈服するまで戦え。」という文言などがある〕。
ジズヤはイスラーム社会ではムスリムより下位に位置づけられた非ムスリムにとって厳しい負担となり、またイスラーム政権に対する服従の証でもあったため〔マーワルディーはジズヤをズィンミーのイスラーム政権への隷属の証と述べている(マーワルディー『統治の諸規則』湯川武訳、2006年、pp.346-347)〕、多くの非ムスリムはジズヤを屈辱と捉えた。このような金銭的負担と社会的差別を逃れるため、多くのズィンミーが他地域への逃亡やイスラームへ改宗を選択することもあった。他地域に逃亡した例としては、ムンバイ方面に逃れた旧サーサーン朝ペルシャのゾロアスター教徒があり、かれらはインドにおいてはペルシャ人の意味で「パールスィー」と呼ばれている。
ジズヤによる厳しい負担は、非ムスリムに対し暗に改宗を迫るものであったが、ジズヤが重要な財源になった事から、むしろ税収減少を懸念してムスリムへの改宗を好まない風潮も生まれ、イスラム政権下の多くの国民が非ムスリムに留まるような事例もあった。これが、イベリア半島におけるレコンキスタの成功の原因のひとつにもなった。またレコンキスタがなった後のイベリア半島ではユダヤ教徒が国外に追放されたが、オスマン帝国が彼らを「ジズヤを納めてくれる民」として歓迎して受け入れた例などがある。
現在でもイスラーム原理主義者の中には、シャリーアに基づく祭政一致の国家を樹立した暁には非ムスリムに対してジズヤを課すことを標榜している団体があり、問題視されている。2014年にイラクとシリアの一部を実効支配する過激派組織ISILが、支配地域内のキリスト教徒に対して人頭税を要求した事例があり、復古的なイスラーム支配を目指すものと指摘された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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