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ジノ・サニ : ウィキペディア日本語版
ジノ・サニ

ジノ・サニ(Dino Sani, 1932年5月23日 - )は、ブラジル出身のサッカー選手及びサッカー指導者。
==来歴==
地元クラブのパルメイラスで選手としてのキャリアをスタートさせ、続いてキンゼ・デ・ジャウー、、サンパウロに所属した〔http://en.sambafoot.com/players/292_Dino_Sani.html〕。1959年からはアルゼンチン・プリメーラ・ディビシオンボカ・ジュニアーズでプレーした〔http://colunas.globoesporte.com/memoriaec/2010/02/04/boca-juniors-uma-relacao-antiga-com-jogadores-brasileiros/〕。1961年から1964年までイタリアセリエAACミランでプレーし、〔http://www.acmilan.com/InfoPage.aspx?id=86380〕1961-62シーズンにスクデット1962-63シーズンにヨーロピアンカップを獲得した。
ブラジル代表のメンバーとして、との南米選手権に出場、優勝した1958 FIFAワールドカップでもメンバーの一員だった〔http://www.fifa.com/worldfootball/statisticsandrecords/players/player=63863/index.html〕。
ミランを退団後はブラジルに戻り、コリンチャンスでのプレーを最後に現役を退いた。監督に転身し、インテルナシオナル〔http://futpedia.globo.com/tecnicos/dino-sani〕、ゴイアスパルメイラスコリチーバペニャロール〔http://girasolweb.tripod.com/tecnicos.htm〕、フラメンゴフルミネンセボカ・ジュニアーズカタール代表グレミオを指導した。また日本では、与那城ジョージ監督時代(1980年代後半)の読売サッカークラブで「特別コーチ」として指導していたことがある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジノ・サニ」の詳細全文を読む




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