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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジミー・アンブリッツ(''Jimmy Ambriz''、1977年3月20日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家。カリフォルニア州サンタアナ出身。トッド・メディーナ・フリースタイル柔術アカデミー所属。元KOTC世界スーパーヘビー級王者。 腕周りの太さは驚異的で、少年時代から自体重を超える重さのバーベルでトレーニングし、全盛期にはベンチプレス340kg以上、スクワット450kg以上を持ち上げた。 == 来歴 == 幼い頃から喧嘩に明け暮れ、高校生の時にバーのバウンサー(用心棒)を始める。スポーツ歴はレスリング、フリースタイル柔術、アメリカンフットボール。 2001年4月28日、Rage in the Cage 27のジャスティン・リオン戦でプロデビューし、開始34秒マウントでの打撃でKO勝ち。以後、連勝を重ねた。 2002年8月2日、KOTC世界スーパーヘビー級タイトルマッチで王者ダン・ボビッシュに挑戦し、マウントパンチでギブアップ勝ちを収め王座獲得に成功した。 2003年5月2日、KOTC世界スーパーヘビー級王座を返上して日本の新日本プロレス主催の総合格闘技ルールの試合ULTIMATE CRUSHに参戦した。2週間前に足の靭帯を負傷していた影響もあり、ジョシュ・バーネットにパウンドでTKO負けし、キャリア初黒星となった〔[新日本プロレス] 5.2 東京ドーム:ジョシュ、鮮烈KO勝ち。藤田は苦戦 BoutReview 2003年5月2日〕。 2003年9月に新日本プロレス所属選手となり、同月にプロレスデビュー。 2003年11月30日、パンクラスでロン・ウォーターマンと対戦し、0-0の判定ドロー。 2004年11月、ロサンゼルスで行われたPRIDEのオーディションに参加するも、PRIDE参戦は果たせなかった。 2005年10月14日、WEC初参戦となったWEC 17でリコ・ロドリゲスと対戦。テイクダウンに成功するも極めきれず、スタンドでパンチを貰い続けタップアウト負け。 2006年3月15日、HERO'Sでジェロム・レ・バンナと対戦。タックルでテイクダウン、パウンドを狙うもガードされ、スタンドで再開。バンナのキックにパンチで応戦、前に出たところに右フックを当てられてKO負けを喫した〔【HERO'S】所が極真空手家を49秒殺、須藤は予想外の大苦戦 格闘技ウェブマガジンGBR 2006年3月15日〕。 2007年11月7日、WCOスーパーヘビー級王座決定戦でルーベン・ビシャレアルと対戦し、パウンドでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。 2008年9月23日、DREAM初参戦となったDREAM.6でセルゲイ・ハリトーノフと対戦し、パウンドによりタップアウト負け〔【DREAM】秋山が吉田秀彦に、青木はその秋山に挑戦状!ミドル級GPはムサシ優勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年9月23日〕(DREAMの公式記録はTKO負け)。負傷欠場となったマイティ・モーの代理であったが、DREAMから正式発表されたのは試合前日であったほどの緊急参戦となった〔【DREAM】9・23ハリトーノフの対戦相手は、あの生粋のストリートファイター 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年9月22日〕。 2010年3月22日、DREAM.13でミノワマンと対戦し、足首固めで一本負け〔【DREAM】ビビアーノが初防衛に成功!ジョシュは一本勝ち、菊野が弘中を一撃KO 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年3月22日〕。 2012年3月11日、インドの新団体Super Fight Leagueの旗揚げ興行Super Fight League 1でサティシュ・ジャーと対戦し、僅か14秒でTKO勝ち〔【SFL01】アンブリッツ、14秒でTKO勝ち MMAPLANET 2012年3月11日〕。連敗を4で止めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジミー・アンブリッツ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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