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ジムリ・リム(Zimri lim、在位:紀元前1775年頃 - 紀元前1761年)は、紀元前18世紀頃の古代メソポタミアの国家マリの王。当時のメソポタミアの多くの王と同じく彼もアムル系の王であった。彼の時代の文書史料がマリから大量に発見されており、当時の政治史を復元する上で第一級の史料となっている。 == 来歴 == === 亡命とマリ王位奪還 === 前王ヤフドゥン・リムの息子として生まれた。父王ヤフドゥン・リムはマリを有力国の一つに仕立て上げたが、アッシリアの王シャムシ・アダド1世との戦いで次第に劣勢に追い込まれた。そしてヤフドゥン・リムは配下の裏切りによって暗殺され、マリはアッシリア軍によって征服された。ジムリ・リムはマリを脱出し、西の大国ヤムハド(アレッポ)の王ヤリム・リム1世の元へ亡命した。そこでヤリム・リム1世の娘を妻としてヤムハドの後ろ盾を取り付けて機会を待った。 紀元前1781年にシャムシ・アダド1世が死に、その後アッシリアがエシュヌンナとの戦いで混乱したのを好機として、バビロン第1王朝の王ハンムラビの支援も受けてマリを攻撃し、現地を支配していたシャムシ・アダド1世の息子ヤスマフ・アダドからマリの王位を取り戻した。彼はマリの行政機構を整え、アムル系の遊牧民部族をいくつも参加に収めるとともに敵対した部族(ビヌ・ヤミナ族など)を討ってマリを再び有力国の一つに押し上げた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジムリ・リム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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