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ジム・アドゥチ(James David "Jim" Adduci, 1959年8月9日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の元プロ野球選手(外野手)。なお、ファミリーネームの発音は、アメリカでは「アドゥシー」であった。 なお、息子のジム・アドゥチもメジャーリーガーで、10年間のマイナー生活を経てにテキサス・レンジャーズでメジャーデビューした。2015年より韓国プロ野球のロッテ・ジャイアンツに所属する。 == 経歴 == 1977年のMLBドラフト28巡目でフィラデルフィア・フィリーズから指名されるも拒否〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、14ページ〕。 1980年のMLBドラフト7巡目でセントルイス・カージナルスに指名され契約〔。9月12日にメジャーデビューを果たし、10試合に出場。 、はいずれもメジャーでの出場はなかった。 にミルウォーキー・ブルワーズでメジャー再昇格を果たし、3試合に出場。 シーズン途中にNPBの横浜大洋ホエールズに入団。大柄な体からアッパー気味のバットスイングで一発長打を期待されたものの、今一つ迫力と確実性に欠け、同年限りで解雇。なお、同年の大洋はカルロス・ポンセとダグ・ローマンの2人の外国人選手でシーズンをスタートした。しかし、開幕直後に元メジャーリーガーのシクスト・レスカーノを獲得。当時の外国人枠からはみ出したローマンはファームを拒否して退団。レスカーノも極度の不振から結局1か月足らずで退団してしまう。アドゥチは急遽穴埋めを迫られての獲得で、そこそこまとまってはいたものの特筆すべき点もなく、残留には至らなかった。 にブルワーズに復帰し、44試合に出場してメジャー唯一の本塁打も記録。 にフィラデルフィア・フィリーズに移籍するも、13試合の出場に終わり、同年限りで現役引退〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジム・アドゥチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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