|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジム "ジ・アンヴィル" ナイドハート(Jim "The Anvil" Neidhart、本名:James Henry Neidhart、1955年2月8日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。フロリダ州タンパ出身。 1980年代半ばから1990年代にかけて、WWFを主戦場にブレット・ハートとのタッグチーム "ハート・ファウンデーション" などで活躍した。妻はスチュ・ハートの長女エリー・ハート。WWE所属のナタリアことナッティ・ナイドハートは彼の娘である。 == 来歴 == NFLのオークランド・レイダーズやダラス・カウボーイズに在籍した後、ハート・ファミリーの総帥スチュ・ハートのトレーニングを受け、1979年にカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングでデビュー。1981年10月にはドイツのハノーファーに遠征し、スティーブ・ライト、ミレ・ツルノ、パット・ローチ、エイドリアン・ストリート、ビッグ・ジョン・クイン、ムース・モロウスキー、ザ・UFO、ゴロー・タナカなどと対戦している。 1982年4月にはスタンピード・レスリングとの提携ルートで新日本プロレスに初来日。当時は無名の存在だったため、ほとんど注目されることはなかったが〔『ザ・レスラー '83新春黄金シリーズ号』P13(1983年、新日本プロレス オフィシャル・マガジン)〕、1983年1月の再来日時には、外国人エース格のブラックジャック・マリガンやマスクド・スーパースターと組んで時折メインイベントにも出場した。 1983年下期からはアメリカ南部にも進出。ルイジアナのMSWAでミスター・レスリング2号やテッド・デビアス、テネシーのCWAでジェリー・ローラーやオースチン・アイドルらと対戦してネームバリューを高める。MSWAでは1983年10月12日、ブッチ・リードと組んでジム・ドゥガン&マグナムTAを破り、ミッドサウス・タッグ王座を獲得。NWA圏のフロリダ地区では1984年8月12日にアンジェロ・モスカから南部ヘビー級王座を奪取し、10月3日にはクラッシャー・クルスチェフと組んでUSタッグ王座を獲得した。 1985年、スタンピード・レスリングがビンス・マクマホンに買収されたことに伴いWWFと契約。テネシーCWA時代の盟友ジミー・ハートをマネージャーに、同時期にWWF入りした義弟のブレット・ハートとのヒール・ユニット "ハート・ファウンデーション" を結成。豪力派の強面ナイドハートと技巧派の二枚目ブレットという、パートナー同士が互いの個性を追求した新しいタイプのタッグチームとして頭角を現す(ナイドハートは自分達のことを「ブレットはポルシェ、俺はタンク」と表現していた)。1987年1月26日にはブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)からWWF世界タッグ王座を奪取。同年10月27日にストライク・フォース(ティト・サンタナ&リック・マーテル)に敗れるまで、9か月間に渡り同王座を保持した。 1988年4月、ヒールのバッドニュース・ブラウンとブレットの対立アングルが組まれたことを機に、揃ってベビーフェイスに転向。デモリッション(アックス&スマッシュ)、ブレーン・バスターズ(タリー・ブランチャード&アーン・アンダーソン)、リズム&ブルース(ホンキー・トンク・マン&グレッグ・バレンタイン)、パワー&グローリー(ハーキュリーズ&ポール・ローマ)らと抗争を展開する。1990年8月27日のサマースラム1990では、リージョン・オブ・ドゥームのフォローでデモリッションに勝利、WWFタッグ王者チームに返り咲いた〔。 しかし、翌1991年3月24日のレッスルマニアVIIでナスティ・ボーイズ(ジェリー・サッグス&ブライアン・ノッブス)に敗れ王座から陥落。その後チームを解散し、ブレットはシングルプレイヤーに転向。ナイドハートはブレットの実弟オーエン・ハートと新チーム "ニュー・ファウンデーション" を結成するがブレイクには至らず、1992年にWCWへ転出する。WCW在籍中の1992年8月には新日本プロレスに久々に来日し、G1クライマックスのNWA世界ヘビー級王座決定トーナメントに出場した(1回戦で佐々木健介に敗退)。同年10月のSGタッグ・リーグ戦にもトム・ジンクと組んで参加している。 1994年6月19日、キング・オブ・ザ・リング1994で行われたブレット・ハート対ディーゼルのWWF世界ヘビー級王座戦において、王者ブレットのセコンドとして突如WWFに復帰するが、試合に介入してヒールに転向〔。同年にヒールターンしていたオーエンと結託し、ブレットとの骨肉の争いを開始した。1996年にはフー(Who)なる覆面レスラーに変身したが、一時WWFを離脱してインディー団体を転戦。その後1997年、ブレットのヒール転向により再編されたハート・ファウンデーションのメンバーとして復帰する〔。しかし、同年11月9日のモントリオール事件を最後に、ブレットやデイビーボーイ・スミスと共にWCWへ移籍することになった。 WCWでは『マンデー・ナイトロ』にてクリス・ジェリコが保持していた世界TV王座にも挑戦したが、ミッドカードのポジションから脱することはできず、1998年いっぱいで解雇されている〔。その後はセミリタイアし、インディー団体に単発的に出場。2000年代に入り、WWEの下部団体OVWで若手選手のコーチを務めていたこともあった。2007年12月10日には『RAW』15周年記念大会のオールドタイマーによるバトルロイヤルに出場している。 2009年11月12日、TNAの『iMPACT!』に登場、ジェイ・リーサルから勝利を収めた。2010年4月26日にはオンタリオ州のCWI(チャンピオンシップ・レスリング・インターナショナル)にて、WWF時代の盟友ブルータス・ビーフケーキとCWIヘビー級王座を争った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジム・ナイドハート」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|