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ジム・ボトムリー(''James Leroy Bottomley''、1900年4月23日 - 1959年12月11日)は、メジャーリーグの野球選手(一塁手)。左投げ左打ち。アメリカ・イリノイ州出身。ニックネームは“Sunny Jim”。 ==経歴== 1920年にセントルイス・カージナルスに入団し、1922年8月18日にメジャーデビュー。強打の一塁手として活躍。1933年からシンシナティ・レッズ、1936年からセントルイス・ブラウンズ(現ボルチモア・オリオールズ)でプレーした。1937年は選手兼任監督を務め、同年引退した。 1924年9月16日、エベッツ・フィールドでのブルックリン・ロビンス(現ロサンゼルス・ドジャース)戦で、メジャー記録の1試合12打点を記録したことで知られる。1回に2点タイムリーヒット、2回にタイムリー二塁打、4回に満塁本塁打、6回に2ラン本塁打、7回に2点タイムリーヒット、9回にタイムリーヒットを打ち、代走と交代した。試合は17対3でカージナルスが勝利した。(1993年にマーク・ウィッテンがタイ記録を達成) 1923年の打率.371、1925年の.367は、いずれもチームメイトのロジャース・ホーンスビーに次ぐリーグ2位だった。1926年にリーグ1位の120打点を記録し、ワールドシリーズにも出場。ニューヨーク・ヤンキースを4勝3敗で破り、カージナルスの初の世界一に貢献した。1928年には打率.325、31本塁打、136打点でナショナルリーグのMVPを受賞。また42二塁打、20三塁打を記録し、メジャー史上2人目の「20-20-20」(シーズン20二塁打・20三塁打・20本塁打)を達成。1924年から1929年まで6年連続で100打点以上を記録した。 1974年に野球殿堂入り。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジム・ボトムリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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