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ジャクリーヌ・ヴーヴ : ミニ英和和英辞書
ジャクリーヌ・ヴーヴ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジャクリーヌ・ヴーヴ : ウィキペディア日本語版
ジャクリーヌ・ヴーヴ[ちょうおん]

ジャクリーヌ・ヴーヴJacqueline Veuve1930年1月29日 パイェルヌ - )は、スイス映画監督文化人類学者である。ドキュメンタリー作品で知られる、「ヌーヴォー・シネマ・スイス」の映画作家のひとり。
==来歴・人物 ==
1930年1月29日、スイス・ヴォー州フランスとの国境の入り組んだ地域パイェルヌで、イヴォンヌ&モーリス・ルベ夫妻の娘として生まれたジャクリーヌは、1956年、レオポルド・ヴーヴと結婚、のちにマルティーヌとローランの二児をもうける。
ローザンヌで古典を専攻、ジュネーヴの司書古文書学校に学んだ(1952年 - 1953年)のち、彼女はフランス・パリに上京、卒業証書の仕事をした際に、人類博物館にいた映画監督・文化人類学者のジャン・ルーシュと出会う(1955年)。
1966年、映画作家イヴ・イェルサンとの共同作業を始め、処女短篇『''Le panier à viande''』を撮る。映画監督として知られるようになり、教員免許を取得、ジュネーヴのコレージュ(進路指導期)で教鞭をとり、学校のためのたくさんのドキュメンタリー映画を演出するポストを得た。1970年代の初めに渡米、マサチューセッツ工科大学で、文化人類学者・同校映画学部長のリチャード・リーコックと仕事をする。この時期(1972年 - 1973年)、米国内のフェミニズム運動についての短編映画を2本撮る。
1974年、自らの製作会社「アクエリアス・フィルムズ」をローザンヌに設立。以来、仕事の優先順位を替え、彼女のもっとも重要な作品となる処女長篇映画『''La mort du grand-père ou Le sommeil du juste''』を撮り、同作は、1978年ロカルノ国際映画祭に選ばれ上映される。1982年には、初めての長篇劇映画『''Parti sans laisser d'adresse''』に挑戦、1992年にはふたたび長篇劇映画『''l'Evanouie''』を撮った。
現在、ジャクリーヌ・ヴーヴはすでに60本以上の映画を演出しており、スイスはもちろん、ときにはフランス、アメリカで活動し、数々の国際映画祭に作品が出品されている。
ノスタルジーなしにひとつの国の武力、農民、ワイン農家、救世軍、職人、そしてもちろん女性について映画をつくり、また記述をする。この監督は、スイスの土地に密着したもっとも重要なドキュメンタリー映画人として、すでに定着している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャクリーヌ・ヴーヴ」の詳細全文を読む




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