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ジャコモ・ラウリ=ヴォルピ(Giacomo Lauri-Volpi, 1892年12月11日 - 1979年3月17日)は、1920年代から1950年代にかけて活躍したイタリアのテノール歌手である。本名はジャコモ・ヴォルピ(Giacomo Volpi)であり、Lauri-は、デビュー当時ジャコモ・ヴォルピなるテノールが他に2人いたので区別するためにつけた芸名である。 == 生涯 == ローマ近郊ラヌヴィオに生まれる。ローマ・ラ・サピエンツァ大学にて法学の学位を得るが、声楽を志してサンタ・チェチーリア国立アカデミーに入学、著名なバリトン歌手、アントニオ・コトーニに師事する。同アカデミーでの勉学は第一次世界大戦に従軍したため中断したが、復員後、1919年9月にヴィテルボの劇場で、テノール歌手としてのデビューを飾った。初舞台で演じたのはベッリーニ作曲『清教徒』のアルトゥーロ役であり、彼はこれを「ジャコモ・ルビーニ」Giacomo Rubiniという芸名で歌った。これは、ベッリーニやドニゼッティのオペラで活躍した19世紀前半の大テノール歌手、ジョヴァンニ・バッティスタ・ルビーニ(1794年-1854年)にちなむ芸名であり、青年ジャコモ・ヴォルピの自負をうかがわせる。 ヴィテルボでのデビューは大成功し、早くも4か月後の1920年1月にはローマ・コスタンツィ劇場(彼はこの時点で「ラウリ=ヴォルピ」を名乗った)、翌年にはリオデジャネイロ、ブエノスアイレスなど南米の主要な劇場、1922年にはミラノ・スカラ座、1923年にはニューヨーク・メトロポリタン歌劇場(メト)など世界の一流劇場の舞台を踏んだ。ラウリ=ヴォルピはジーリとともに、『トゥーランドット』の作者ジャコモ・プッチーニ本人が、その初演のカラフ役として起用を検討したテノール歌手の一人だったことが判明している。作曲家の死後、1926年4月にスカラ座で行われた『トゥーランドット』の世界初演では、指揮者トスカニーニの意向により、スペイン人歌手ミゲル・フレータがカラフ役に選ばれたが、ラウリ=ヴォルピはこのオペラのメト初演(同年11月)でカラフ役を演じて成功を収めた。 彼はその後、アメリカを中心に活躍を続けたが、1929年に始まった大恐慌でメトの財政状況は悪化したため、同歌劇場の1932-33年公演期には、イタリア人総監督ガッティ=カザッツァの要請に応え、既定の契約金の20パーセント減額を承諾のうえで出演した。ただし、彼がこの公演期を最後としてアメリカからヨーロッパに帰還したのは、契約金の支払い問題よりもむしろ、すでに自分とアメリカの聴衆の間で、伝統的なオペラへの感受性と嗜好の違いを強く感じ取っていたというのが主な理由である。 ラウリ=ヴォルピは自宅をローマ、及びスペイン・バレンシア州(彼の妻であるスペイン人ソプラノ歌手、マリア・ロスの故郷)のブルハソトに構え、イタリアとスペインを拠点としながら、ヨーロッパの諸都市で活躍した。1959年にローマ歌劇場でヴェルディ作曲『イル・トロヴァトーレ』(吟遊詩人)を歌って一流劇場を引退してから、1977年まで演奏会で歌い続けた。1973年には81歳の年齢でリサイタル盤レコードを発売した。1979年、ブルハソトの自宅で亡くなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャコモ・ラウリ=ヴォルピ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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