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ジャズ喫茶(ジャズきっさ)とは、主にジャズのSP・LPレコード音源をかけ、客は鑑賞を主目的として来店する形式の喫茶店。昭和初期にも〔『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 昭和8年に「ちぐさ」が開店した。〕ジャズの普及と共にはじまったが、戦争により一時消滅〔吉田衛・著「横浜ジャズ物語 -『ちぐさ』の50年」(神奈川新聞社・刊 1985年)による。このなかで吉田は戦前の都内ジャズ喫茶について記述している。それによると、氏の把握する限りでは東京でもっとも古いジャズ喫茶は、昭和4年に本郷赤門前で開店した「ブラックバード」だという。それ以前にも厳密にはジャズ喫茶とは呼べないものの、浅草の「パウリスタ」でダンスレコードをかけていたり、大阪には井田一郎らが生演奏する喫茶店もあった、としている。〕。1950年代に再開し〔『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 昭和20年代末に「キーヨ」「ヨット」「ポニー」「木馬」が開店した。〕60年代に隆盛を迎え〔『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 1960年代、山手線の主な駅の近くにはジャズ喫茶があり、(都内に?)100店あったという。〕70年代に下火を迎えた〔『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 ジャズ喫茶が下火になっていったのは、レコード・CDが、個人が気軽に購入できる価格になったこと、ジャズが「アンダーグラウンド」な存在でなくなったこと、が理由ではないかという。1980年代初め時点では、日本全国に750店余存在したという。〕。現在では音源の多様化、経営形態の多様化も見られる。 == 概要 == 1950年代は輸入盤のジャズのLPは高価であったため、何千何万枚もの所蔵レコードがある店もあり、コーヒー一杯で本場のジャズのレコードを聴け、リクエストも受け付けてくれるジャズ喫茶〔『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 1964年頃、大卒初任給が2万円ほどのとき、輸入盤LP1枚が3,000円もするなど、個人が自分で買って多くの曲を聴くのにはレコードは高価だったので、ジャズ喫茶が隆盛したのだという。〕はジャズファンやミュージシャンの溜まり場ともなっていた。現在プロとして著名な日本人ジャズミュージシャンの中にも「開店から閉店までコーヒー一杯でねばった」という人もいたという(なお、一部グループ・サウンズ・ロカビリーなどのライブステージ主体の音楽喫茶もジャズ喫茶とよばれていた〔東京のジャズ喫茶 〕)。 当時ジャズ喫茶では、家庭ではなかなか揃えることのできない高価なオーディオシステムを装備し、音質の良さを店の特徴としたり〔『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 大木俊之助 たとえば1960年代末、JBL社製巨大スピーカー「パラゴン」を設置した店が吉祥寺にあったという。〕、経営する「名物オヤジ」の独自のジャズ観・口調を売りにしていた店もあった。現在でもその傾向は一部の店で受け継がれている。また、一部にはジャズ以外にも、カントリーやロカビリー、グループ・サウンズ、ロックなど、幅広いジャンルの音楽を聴ける店もあった。なお、ジャズ喫茶は諸外国ではほとんど見あたらず、日本特有の形態であるとされる〔季刊ジャズ批評No.35 ジャズ日本列島55年版(ジャズ喫茶生態学 285頁 福島輝人 昭和55年4/20 株式会社ジャズ批評社刊による)〕。 近年では、レコード音源鑑賞を主とするジャズ喫茶は衰退し、経営形態が多様化、ジャズを聴きながら酒を呑むジャズバー、定期的にジャムセッションを開くジャズライブバー、若年層・女性をターゲットとするレストラン風の店などの多様化もみられる。なお、世相の影響を受け、伝統的なジャズ喫茶の形態でも禁煙店が増えている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャズ喫茶」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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