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ジャック・バルビロー : ミニ英和和英辞書
ジャック・バルビロー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジャック・バルビロー : ウィキペディア日本語版
ジャック・バルビロー[ちょうおん]
ジャック・バルビローJacques Barbireau / ラテン語名:ヤコブス・バルビリアヌス Jacobus Barbirianus, 1455年1491年8月7日)は、南ネーデルラント出身のルネサンス音楽作曲家。同時代からだけでなく、キーゼヴェッターやフェティスらの近代の研究家からも、フランドル楽派の至高の作曲家と認められているが、夭折したため現存する作品数は数少ない。
==生涯==
1960年代まで、幾分年長の作曲家バルバンガンと混同されてきた。当時の資料は綴りが一定でなかったり、作曲家の名を省いたりしたことから、このような混乱が起こりがちだったのである。バルビローはおそらくアントウェルペンの出身で、両親はどちらもアントウェルペン市民であった。1482年までに文学修士の学位を取得しているので、1470年代には大学に在籍していたようである。バルビローは、1470年代にフェラーラで活躍した後ハイデルベルクに移った人文学者音楽家のロドルフス・アグリーコラの門を叩きたがっていた。アグリーコラのバルビロー宛ての手紙がいくつか現存しており、そのうち一つによると、バルビローは1484年までには既に作曲家として活動していたが、この時点ではまだ作曲家としての名声は地元アントウェルペンから広がってはいなかったことが察せられる。
1484年にアントウェルペン大聖堂に聖歌隊長職を得て、亡くなるまでその地位にあった。神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世は、明らかにバルビローに高い評価を与えており、バルビローが1490年ハンガリーブダに赴いた際、王妃ベアトリクス(マーチャーシュおよびウラースロー2世の王妃)もバルビローについて非常に好意的に語っている。疑いなく生涯最後の2ヶ月間に健康が衰えており、ハンガリーから帰国後に、アントウェルペンで世を去った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャック・バルビロー」の詳細全文を読む




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