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ジャック・レモン(Jack Lemmon, 1925年2月8日 - 2001年6月27日)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン出身の俳優。本名はジョン・ユーラー・レモン三世(John Uhler Lemmon III)。戦後アメリカ映画界最高の喜劇俳優と言われた。 == 生涯 == 父は元ミュージカル俳優のドーナッツ会社経営者、母は元歌手。8ヶ月の早産でニュートン・ウェルズリー病院のエレベーターの中で生まれ、黄疸のために立ち会った看護婦から「黄色いレモン」みたいと言われたという。 フィリップス・アカデミーを経てハーヴァード大学で化学と薬学を学び、ドラマチック・クラブに所属し演劇活動を開始〔Stated on ''Inside the Actors Studio'', 1998〕。戦時中はアメリカ海軍に少尉として所属していたこともあった〔。除隊後に本格的に俳優を志し、父から300ドルの援助を受けてニューヨークに行く。バーでのピアノ演奏などで生計を立てながら、ラジオドラマからそのキャリアをスタートさせた。その後、テレビに出演するようになり、この頃知り合った俳優仲間のシンシア・ストーンと結婚する。1954年に息子クリスが生まれたが1956年には離婚している。 1950年代前半には500本のラジオやテレビのドラマに出演し、1953年にブロードウェイ入り、この年にジュディ・ホリディの相手役をつとめた舞台が評判を呼び、コロムビアと契約する。映画デビューの際に撮影所長のハリー・コーンからレモンの名前が "Lemon"(スラングで不良品の意味がある)に通じるので、"Lennon" に改名させようとしたが、レーニンに響きが似てるので拒否し、本名で通したという。 1954年に映画デビューを果たし、まもなく1955年の『ミスタア・ロバーツ』でアカデミー助演男優賞を受賞。1959年に『お熱いのがお好き』に起用されてからは、ビリー・ワイルダー監督作品の常連となる。当初は単なるコメディアンと見られたが、1960年の『アパートの鍵貸します』のうだつのあがらないサラリーマン役や、1962年の『酒とバラの日々』でのアルコール依存症患者役などのシリアスな演技も見せて、現代人の持つ性格的ひ弱さを演じては右に出るものはいないとまで言われる。1973年の『セイブ・ザ・タイガー』でアカデミー主演男優賞を受賞し、主演、助演を獲得した最初の俳優となった。 1962年に女優のフェリシア・ファーと再婚し、1966年に娘コートニーが生まれている。 1966年の『恋人よ帰れ!わが胸に』で共演して以降、ウォルター・マッソーとは名コンビといわれ、何度も共演し、1971年にはマッソー主演の『コッチおじさん』を監督している。その後は、1979年の『チャイナ・シンドローム』や1982年の『ミッシング』のそれぞれの演技でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞。 2000年7月に盟友のマッソーを亡くしてからは、体調が悪化していた。2001年6月27日夜、ロサンゼルスの病院にてガンの合併症で亡くなった。 なお晩年、アメリカの名物番組『アクターズ・スタジオ・インタビュー』に出演した際に、自身がアルコール依存症であることを告白して周囲を驚かせた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャック・レモン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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