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ジャラールッディーン・ハルジー : ミニ英和和英辞書
ジャラールッディーン・ハルジー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジャラールッディーン・ハルジー : ウィキペディア日本語版
ジャラールッディーン・ハルジー[ちょうおん]
ジャラールッディーン・ハルジー(? - 1296年6月20日、在位:1290年6月13日〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、125頁〕 - 1296年6月20日)は、インド北部を支配したデリー・スルタン朝の一つであるハルジー朝の創始者である。ジャラールッディーン・フィーローズ・シャーとしても知られる。
== 出自 ==
テュルク系部族集団ハルジー族の出身で、父のトゥーラク・ハーン(ユグルシュ)は現在のパキスタンアフガニスタンの国境地帯を本拠とする集団の指導者であると考えられている〔真下「デリー・スルターン朝の時代」『南アジア史 2』、108頁〕。ハルジー族は7世紀半ばに現在のカーブル付近に到達して王朝を建てたが、極めて早い時期に北インドに定着していたため、アフガン人との混血が進み、彼らの習俗と習慣を取り入れていた〔佐藤、中里、水島『ムガル帝国から英領インドへ』、43頁〕。デリーのテュルク人とは大分異なる容姿と言語を持つようになっており〔真下「デリー・スルターン朝の時代」『南アジア史 2』、109頁〕、そのため、デリーのテュルク系貴族は彼らをテュルク系の人種とみなしていなかった〔佐藤、中里、水島『ムガル帝国から英領インドへ』、43頁 ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、126頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャラールッディーン・ハルジー」の詳細全文を読む




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