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ジャラール・ルーミー : ミニ英和和英辞書
ジャラール・ルーミー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジャラール・ルーミー ( リダイレクト:ジャラール・ウッディーン・ルーミー ) : ウィキペディア日本語版
ジャラール・ウッディーン・ルーミー[ちょうおん]

ジャラール・ウッディーン・ルーミー(、Mawlānā Jalāl ad-Dīn Muḥammad Balkhī-e-Rūmī; トルコ語: Mevlânâ Celaleddin-i Rumi、1207年9月30日 - 1273年12月17日)はペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人である。同時代のスーフィーイブン・アル=アラビーと並ぶ、イスラーム神学、スーフィズムの重要な人物の一人と見なされている〔ザルコンヌ『スーフィー イスラームの神秘主義者たち』、32-33頁〕。「沈黙」を意味する「ハムーシュ」を雅号とし〔藤井「ルーミー」『岩波イスラーム辞典』、1057-1058頁〕、ルーミーの父バハーウッディーンをはじめとする人々は、「識者」を意味する「ホダーヴァンデガール」と彼を呼んだ〔Yeniterzi『神秘と詩の思想家メヴラーナ』、5頁〕。
ルーミーの思想の一つに、旋回舞踏によって「神の中への消滅」という死に似た状態に陥る神秘体験の実行が挙げられる〔ザルコンヌ『スーフィー イスラームの神秘主義者たち』、38頁〕。ルーミーの没後、コンヤのルーミー廟を拠点とする彼の弟子たちによって、コマのように回って踊るサマーウ(セマ)という儀式で有名なメヴレヴィー教団が形成された。メヴレヴィー教団では同教団の始祖と仰がれている。主な著書はペルシャ語の詩集『精神的マスナヴィー』(Masnavī-ye Ma'navī; مثنوی معنوی)。
== 名前の語源 ==
イランではアラビア語で「我らの師」を意味するマウラーナー مولانا mawlānā のペルシア語形であるモウラーナー/メウラーナー mowlānā 、同じく「我が師」モウラヴィー mowlāvī で呼ばれ〔、トルコでもトルコ語形であるメヴラーナー mevlânâ と呼ばれる。アナトリア(ルーム地方)で主に活躍したため、単に「ルーミー」とも呼ばれる〔〔黒柳「ルーミー」『新イスラム事典』、522-523頁〕。ルーミーとはローマの人のことで、後年に住んだアナトリアが以前東ローマ帝国(アラビア語ではルーム)の領土だったことによる。イランアフガニスタン中央アジアでは「ルーミー」ではなく、彼の生誕地と考えられているバルフに由来する「バルヒー(Balkhī、)」の名前で呼ばれることが多い〔竹下『イスラームを知る四つの扉』、263-264頁〕。「マウラーナー」と尊称された高名はウラマースーフィーは史上数多いが、イランからトルコまでの地域では、ペルシア語文学史上に多大な功績を残しかつ偉大なスーフィーであったため、「マウラーナー」といった場合特にこのジャラール・ウッディーン・ムハンマド・ルーミーを指す場合が一般的である。「メヴラーナ・ジェラレッディン・ルミ」と表記されることもある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャラール・ウッディーン・ルーミー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Rumi 」があります。




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