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ジャンヌ・ドゥメッシュー : ミニ英和和英辞書
ジャンヌ・ドゥメッシュー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジャンヌ・ドゥメッシュー : ウィキペディア日本語版
ジャンヌ・ドゥメッシュー[ちょうおん]

ジャンヌ(・マリー=マドレーヌ)・ドゥメッシューまたはドゥメシュ
ドゥメシュードメッシューJeanne Marie-Madeleine Demessieux, 1921年2月13日1968年11月11日)はフランスオルガニストピアニスト作曲家教師
== 生涯 ==
モンペリエ出身。姉ヨランドからピアノの手ほどきを受けたのち、1928年にモンペリエ音楽院に入学。1932年ソルフェージュとピアノで首席に輝く。同年、家族とともにパリに転居。翌1933年よりパリ音楽院に進学できるようになり、ピアノをシモン・リエラとマグダ・タリアフェロに、和声法ジャン・ギャロンに、対位法とフーガをノエル・ギャロンに、作曲アンリ・ビュッセルに師事。パリ聖霊教会の名誉オルガニストにも任命され、29年間その地位に就いた。
1936年から1939年まで、マルセル・デュプレに個人的にオルガンを師事。1939年より正式にパリ音楽院でデュプレのオルガン科を受講した。1941年にオルガン演奏と即興演奏の両方で首席に輝き、さらに5年にわたってムードンでデュプレの薫陶を受け、1946年にパリのサル・プレイエルでオルガニストとして初リサイタルを果たす。
これがきっかけとなって、巨匠オルガニストとして国際的な演奏活動に入り、欧米各地で700回もの演奏会を行なった。ドゥメシューは驚異的な記憶力の持ち主で、暗譜で弾けるレパートリーは優に2500曲にものぼった。そこには、バッハメンデルスゾーンリストフランク、そして恩師デュプレの、オルガン作品全曲が含まれている。
録音数も数多く、フランクのオルガン曲全集(1958年)は、1960年にディスク大賞に輝いている。彼女の遺した音源は、オランダのレコード会社「フェスティーヴォ "Festivo" 」から復刻されている。
1962年にパリのマドレーヌ教会の名誉オルガニストに任命される。1950年から1952年までナンシー音楽院の、1952年から1968年までブリュッセル王立音楽院のオルガン科教授に就任。もともと虚弱体質であったため、1960年代中ごろに健康上の不安から演奏活動を制限した。1967年デッカ・レコードと契約して、オリヴィエ・メシアンのオルガン曲全集を録音することになったものの、ドゥメシューが早世したため、この企画は実現を見なかった。
病臥してから数ヵ月後の1968年の秋にパリの住居で他界した。膨大な作品を遺しており、8つのオルガン曲のほかに、ピアノ曲やたくさんの歌曲や合唱曲(オラトリオ含む)、管弦楽曲がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャンヌ・ドゥメッシュー」の詳細全文を読む




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