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ジャンヌ(・マリー=マドレーヌ)・ドゥメッシューまたはドゥメシュ、 ドゥメシュー、ドメッシュー(Jeanne Marie-Madeleine Demessieux, 1921年2月13日 – 1968年11月11日)はフランスのオルガニスト・ピアニスト・作曲家・教師。 == 生涯 == モンペリエ出身。姉ヨランドからピアノの手ほどきを受けたのち、1928年にモンペリエ音楽院に入学。1932年にソルフェージュとピアノで首席に輝く。同年、家族とともにパリに転居。翌1933年よりパリ音楽院に進学できるようになり、ピアノをシモン・リエラとマグダ・タリアフェロに、和声法をジャン・ギャロンに、対位法とフーガをノエル・ギャロンに、作曲をアンリ・ビュッセルに師事。パリ聖霊教会の名誉オルガニストにも任命され、29年間その地位に就いた。 1936年から1939年まで、マルセル・デュプレに個人的にオルガンを師事。1939年より正式にパリ音楽院でデュプレのオルガン科を受講した。1941年にオルガン演奏と即興演奏の両方で首席に輝き、さらに5年にわたってムードンでデュプレの薫陶を受け、1946年にパリのサル・プレイエルでオルガニストとして初リサイタルを果たす。 これがきっかけとなって、巨匠オルガニストとして国際的な演奏活動に入り、欧米各地で700回もの演奏会を行なった。ドゥメシューは驚異的な記憶力の持ち主で、暗譜で弾けるレパートリーは優に2500曲にものぼった。そこには、バッハ、メンデルスゾーン、リスト、フランク、そして恩師デュプレの、オルガン作品全曲が含まれている。 録音数も数多く、フランクのオルガン曲全集(1958年)は、1960年にディスク大賞に輝いている。彼女の遺した音源は、オランダのレコード会社「フェスティーヴォ "Festivo" 」から復刻されている。 1962年にパリのマドレーヌ教会の名誉オルガニストに任命される。1950年から1952年までナンシー音楽院の、1952年から1968年までブリュッセル王立音楽院のオルガン科教授に就任。もともと虚弱体質であったため、1960年代中ごろに健康上の不安から演奏活動を制限した。1967年にデッカ・レコードと契約して、オリヴィエ・メシアンのオルガン曲全集を録音することになったものの、ドゥメシューが早世したため、この企画は実現を見なかった。 病臥してから数ヵ月後の1968年の秋にパリの住居で他界した。膨大な作品を遺しており、8つのオルガン曲のほかに、ピアノ曲やたくさんの歌曲や合唱曲(オラトリオ含む)、管弦楽曲がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャンヌ・ドゥメッシュー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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