翻訳と辞書
Words near each other
・ ジャンヌ・ダルクの異名を持つ人物の一覧
・ ジャンヌ・ダルクへの道〜格闘美宣言〜
・ ジャンヌ・ダルブレ
・ ジャンヌ・ダーク
・ ジャンヌ・デヴルー
・ ジャンヌ・ドゥメシュ
・ ジャンヌ・ドゥメッシュー
・ ジャンヌ・ドメッシュー
・ ジャンヌ・ド・コンスタンティノープル
・ ジャンヌ・ド・シャンタル
ジャンヌ・ド・ダンマルタン
・ ジャンヌ・ド・トゥールーズ
・ ジャンヌ・ド・ナヴァル
・ ジャンヌ・ド・ナヴァール
・ ジャンヌ・ド・パンティエーブル
・ ジャンヌ・ド・パンティエーヴル
・ ジャンヌ・ド・フェレット
・ ジャンヌ・ド・フランス
・ ジャンヌ・ド・フランス (1391-1433)
・ ジャンヌ・ド・フランス (1435-1482)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジャンヌ・ド・ダンマルタン : ミニ英和和英辞書
ジャンヌ・ド・ダンマルタン
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ジャンヌ・ド・ダンマルタン : ウィキペディア日本語版
ジャンヌ・ド・ダンマルタン
ジャンヌ・ド・ダンマルタンJeanne de Dammartin、1220年頃 - 1279年3月16日)は、フランスのオマール伯、ポンチュー伯。オマール伯シモン・ド・ダンマルタンとポンチュー伯マリーの子。
1230年頃、父シモンがフランス王ルイ9世との婚約を整えるが、後にルイによって破棄された〔François César Louandre, ''Histoire ancienne et moderne d'Abbeville et son arrondissement '', 1834, p. 96.〕。1237年、ブルゴスにてカスティーリャ・レオンフェルナンド3世と結婚し、5子をもうけた。カスティーリャ語ではフアナ・デ・ダンマルティン(Juana de Danmartín)と呼ばれた。
*フェルナンド(1238年-1264年) - オマール伯
*レオノール(1241年-1290年) - ポンチューおよびモントルイユ伯。1254年にイングランドエドワード1世と結婚。
*ルイス - マルチェダおよびスエロス領主
*ヒメノ(1244年没)
*フアン(1244年没)
フェルナンド3世に先立たれると、ジャンヌは引退し自分の領地に戻った。1254年頃、ファルヴィ領主ギィ・ド・ネールと再婚、2子をもうけた。
1259年、いとこであるブローニュ伯およびダンマルタン伯マティルド・ド・ダンマルタンが死ぬと、ジャンヌはブローニュ伯領の相続を目論んだ。しかし、パリ高等法院は1262年に裁定を下し、ブローニュ伯領はアデライード・ド・ブラバン(母がブローニュ伯の娘)に、ダンマルタン伯領はル・ヴォーマン領主マチュー・ド・トリーに相続させた。
==脚注==



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャンヌ・ド・ダンマルタン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.