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ジャンボ堀(ジャンボほり、1962年9月25日 - )は、日本の女子プロレスラー。本名は堀 あゆみ(ほり あゆみ)。身長180cm、体重80kg、血液型A型。東京都武蔵村山市出身。日本の女子プロレス史上最長身の体格を誇った。 == 経歴・戦歴 == 1978年 12月2日、茨城・常陸太田市民体育館において、対平田二三代戦でデビュー。入門後すぐ足首を複雑骨折したため、デビューは同期にくらべ大幅に遅れた。同期には、デビル雅美がいる。 1979年 一年後輩の新人に混ざって新人王決定トーナメントに参加、優勝。 1980年 ピーター・フォーク主演のアメリカ映画「カリフォルニア・ドールズ」にミミ萩原と共に出演。 1980年12月、当時破竹の上昇気流に乗る横田利美と組んでWWWA世界タッグ王座を獲得するが、シングル指向の横田の意向もあり、すぐに返上。 1981年2月、横浜文化体育館でナンシー久美と組んでWWWA世界タッグ王座を再び獲得。2度の防衛後、11月に沖縄・奥武山体育館でミミ・大森ゆかり組に王座を明け渡す。 1982年1月、千葉公園体育館で空位のオールパシフィック王座をワイルド香月と争い、勝利。第7代王者となる。2度の防衛後王座を返上し、ミミとのコンビでWWWA世界タッグ王座に挑戦するが、当時の王者チーム、デビル雅美・タランチェラ組の牙城を崩せず。 1983年〜1984年 新たに大森とタッグチーム「ダイナマイト・ギャルズ」を結成し、デビル・タランチェラ組の保持するWWWA世界タッグ王座に挑戦。王者組の反則暴走がエスカレートし、ベルトは協会預かりに。同メンバーで、異例の3番勝負による決着が宣言される。大阪・川崎と会場を移しながら1-1のイーブンで迎えた6/14・札幌の決戦も、引き分け裁定。急遽3日後の6月17日・旭川で4戦目が行われたが、タランチェラの両膝負傷による不本意なTKO勝ちで新王者に。 8月後楽園ホールで突然ブレイクしたライオネス飛鳥、長与千種の「クラッシュ・ギャルズ」の挑戦を受け勝利するも、少女ファンのブーイングを浴びる。強力なライバル出現で、闘いのモチベーションは急上昇。1984年1月にクラッシュの再挑戦、6月にダンプ松本・クレーン・ユウ組の挑戦を退け、最強王者ぶりをいかんなく発揮。8月に後楽園ホールでクラッシュに敗れるまで、7度の王座防衛に成功した。 1984年 ミミ萩原に次ぎヌード写真集「チャンピオン・ハイウェイ」を出版。撮影はマイク岡田。 1985年 持病の腰痛が悪化し、リング上で精彩を欠くようになる。8月、夢だった日本武道館大会では新人選手に混ざり、第一試合に出場。その後元力士との結婚を理由に引退を発表し、12月大田区体育館で引退試合&セレモニーを行う。 1998年8月14日に川崎市体育館で行われたOGマッチ「メモリアル・オールスター戦〜あの時、君は強かった!!」に現在も親交の深い親友のダンプ松本、大森ゆかりと共に発起人として参加する。 2005年8月、後楽園ホールで行われたLLPWの「立野記代25周年記念バトルロイヤル」にOGとして参加し、大森と合体攻撃を見せた。 その後、フリーとして現役復帰。LLPWなどで不定期に試合を行っている。2007年には孫が誕生し、日本人初のおばあちゃんレスラーになっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャンボ堀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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