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ジャンボ 秀克(ジャンボ ひでかつ、1951年6月12日 - 2014年4月8日)は、北海道虻田郡豊浦町出身のタレント・ラジオパーソナリティ・フリーアナウンサーである。A型。本名は佐々木 秀克(ささき ひでかつ)。フロムサウンズに所属した。 == 経歴 == 中学生の頃、テレビの歌謡番組で司会を務めていた玉置宏や高橋圭三に憧れ、高校・大学(北海学園大学)ではいずれも放送部に所属〔別冊ラジオパラダイス「DJ名鑑」(1987年刊・脚注)〕。 卒業後、HBCのアナウンサー試験を受験したが、最終選考で不合格(当時の合格者は桜井宏、田中徳志郎〔1981年ミスターデーブマンの後任として「ベストテンほっかいどう」を担当。その他音楽番組を担当した人気アナウンサーだった。「ベストテンほっかいどう」を1985年まで担当したが、体調不良により降板。その後復帰が叶わぬまま1992年3月に死去。〕)。また、STVの試験も受けていたがこちらは1次選考で不合格となった〔別冊ラジオパラダイス「DJ名鑑」(1987年刊)による〕。その後、改めてHBCラジオのパーソナリティ・オーディションを受けたところ合格。大学在学中の1973年にケロコ伊藤(現:マダムケロコ)との番組「ジャンボとケロコのHBCベスト100 マラソンランキング」(ナイターオフ期 月~金曜18:45 - 20:00)でパーソナリティデビュー。毎回番組終盤にノンストップで100位から1位までランキングを読み上げるのが番組名物にもなった。10年間担当したこの番組がきっかけで、この当時アルフィーやチェッカーズとも親交があったという。また「パック2」(HBCテレビ)など、北海道ローカルの情報番組ではレポーターとしても活躍した。 HBCとの契約満了後も北海道内を中心としてテレビ・ラジオに数多く出演し、札幌市東区の「さっぽろ村ラジオ」や小樽市の「FMおたる」等、コミュニティFMでも番組を担当していた。また司会者としても歌謡ショーやコンサート、各種イベントで活躍したほか、母校である北海学園大学での卒業式の司会を毎年務めていた。 2014年4月8日午前11時半ごろ、北海道札幌市南区常盤の路上で仰向けで倒れているのが見つかり、ドクターヘリで緊急搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。。札幌南警察署は、死因を急性心臓死と断定した〔。 死去翌日の2014年4月9日に放送されたHBCラジオのワイド番組「山ちゃん美香の朝ドキッ!」「カーナビラジオ午後一番!」で、追悼特集が組まれた。2014年12月30日の15時からHBCラジオで追悼特番「ラジオに恋したパーソナリティ〜ジャンボ秀克さんを偲んで」が放送された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャンボ秀克」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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