翻訳と辞書
Words near each other
・ ジャン・シャコルナク
・ ジャン・シャップ・ドートロシュ
・ ジャン・シャルダン
・ ジャン・シャルル・ウーゾー
・ ジャン・シャルル・タケラ
・ ジャン・シュナイツホーファ
・ ジャン・シュネゾフェール
・ ジャン・シュラム
・ ジャン・シルヴァン・バイイ
・ ジャン・シロヴィー
ジャン・ジェルソン
・ ジャン・ジオノ
・ ジャン・ジャコモ・カプロッティ
・ ジャン・ジャック・アノー
・ ジャン・ジャック・カントロフ
・ ジャン・ジャック・ナティエ
・ ジャン・ジャック・バーネル
・ ジャン・ジャック・ペリー
・ ジャン・ジャック・マチャド
・ ジャン・ジャック・ルクー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジャン・ジェルソン : ミニ英和和英辞書
ジャン・ジェルソン
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ジャン・ジェルソン : ウィキペディア日本語版
ジャン・ジェルソン

ジャン・ジェルソン(Jean Gerson, 1363年12月14日 - 1429年7月12日)は、フランス出身の神学者パリ大学総長をつとめ、ピサ教会会議およびコンスタンツ公会議を主導し、公会議主義を精神的に支える思想家となった。
== 生涯 ==

===生い立ちから青年期===
ジェルソンは敬虔な両親、父アーヌルフ・シャリエルと母エリザベート・ド・ラ・シャルデニエールの間に12人兄弟の7番目として生まれた。ジェルソンのほか兄弟姉妹のうち7人が修道者になっている。彼は14歳でパリ大学のナバール・カレッジに学び、自由学芸を修めると神学を学んだ。そこでパリ大学総長ピエール・ダイイの薫陶を受けた。ダイイは後に司教から枢機卿にあげられ、ジェルソンの生涯の師にして生涯の友になることになる。
ジェルソンは優秀であったため早くから大学内で注目されており、1383年から1384年にかけてパリ大学のフランス人学生団の代表に選ばれた。1387年にはジェルソンはパリ大学の代表団の一員として教皇へ陳情された問題の事情説明に赴くという栄誉を担った。その問題とはパリ大学の出身でドミニコ会の神学博士モンテソノのモンソンなる人物が聖母マリアもまた原罪からのがれ得なかったと主張して他のドミニコ会員と共に大学から追放された事件に関することであった。
モンソンがこれを不服としてアヴィニョンの教皇クレメンス7世に直訴したため、審理を行うべくパリ大学の代表が召還され、ジェルソンやダイイがアヴィニョンに赴いたのである。ジェルソンのこのアヴィニョンへの旅は、後世のマルティン・ルターローマへの旅とよく比される。2人とともそこで目にした教会の現状に心を痛め、教会改革を決意したという共通点がある。ジェルソンは教会分裂の現状と聖職者のモラルの低下に衝撃を受け、以後パリ大学を拠点に聖職者の霊的向上と教会分裂の克服に全力を注ぐことになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャン・ジェルソン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.