翻訳と辞書
Words near each other
・ ジャン・ボダン
・ ジャン・ボデル
・ ジャン・ボノモ
・ ジャン・ボロトラ
・ ジャン・ボーセジュール
・ ジャン・ボーダン
・ ジャン・ボードリヤール
・ ジャン・ボーフレ
・ ジャン・ボーン
・ ジャン・ポアズイユ
ジャン・ポトン・ド・ザントライユ
・ ジャン・ポンスレ
・ ジャン・ポール・エジード・マルティニ
・ ジャン・ポール・エジード・マルティン
・ ジャン・ポール・ゴルチェ
・ ジャン・ポール・ゴルチエ
・ ジャン・ポール・ゴルティエ
・ ジャン・ポール・サルトル
・ ジャン・ポール・ベルモンド
・ ジャン・ポール・マラー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジャン・ポトン・ド・ザントライユ : ミニ英和和英辞書
ジャン・ポトン・ド・ザントライユ[とらい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

トライ : [とらい]
 【名詞】 1. try 2. (n) try

ジャン・ポトン・ド・ザントライユ : ウィキペディア日本語版
ジャン・ポトン・ド・ザントライユ[とらい]

ジャン・ポトン・ド・ザントライユ(Jean Poton de Xaintrailles, 1390年頃 - 1461年10月7日)は、ガスコーニュ出身の百年戦争末期のフランス軍の指揮官。1454年フランス元帥になる。官職としては他にベリーのバイイ、リムーザンのセネシャルを務め、王の厩舎番長(maître de l'Écurie du roi)などを務めていた。戦闘においては、特に1424年ヴェルヌイユの戦いでの活躍で知られ、ジャンヌ・ダルクの戦友であることで知られる。また、ザントライユ城を再建したことでも知られる。
正書法(オルソグラフィー)が確立していなかったため、サントライユ(Saintrailles)とも綴られた。
==略歴==
イングランド軍に対して勇猛果敢さを発揮し、1423年にはヨンヌ近くのクラヴァントの戦いで捕虜となったが、ジョン・タルボットとの交換により釈放された。1428年から始まったオルレアン包囲戦ジャン・ド・デュノワ、同郷のラ・イルと共にオルレアンへ入城してイングランド軍と戦い、1429年に加わったジャンヌ・ダルクと共にオルレアンを開放した。コンピエーニュではイングランド軍の包囲を解き、その後もジャルジョーの戦いen)、ボージャンシーの戦いen)、パテーの戦いなどで活躍した。また、囚われたジャンヌの奪回を試みた際にペロンヌブルゴーニュフィリップ3世(善良公)の軍と戦い、敵軍を敗走させた。
以後はアルテュール・ド・リッシュモンに従事、1435年ジュルブヴォワの戦いen)ではラ・イルと共に指揮官として活躍してアランデル伯を捕虜にした。以降の百年戦争の局面ではギュイエンヌ再征服、ノルマンディー征服などの功績を挙げた。シャルル7世は彼の忠誠心溢れる奉仕に対して、1454年にはフランス元帥に任じ、サン・マケールの町も与えた。
1461年10月7日、後継者なくボルドーのトロンペット城で死去した(極めて信憑性は低いが、ユロー嬢との間に子孫がいた可能性もある)。遺産は教会に寄付され、遺言はガスコーニュ方言で書かれていた。高等法院に残る文章は次のようにザントライユを評価している。「フランス王国においてもっとも勇敢な指揮官の一人であり、イングランド人を追い出せたのは彼とラ・イルとのおかげである」と。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャン・ポトン・ド・ザントライユ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.