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ジャン・マリー・ギュイヨー : ミニ英和和英辞書
ジャン・マリー・ギュイヨー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジャン・マリー・ギュイヨー ( リダイレクト:ジャン=マリー・ギュイヨー ) : ウィキペディア日本語版
ジャン=マリー・ギュイヨー[ちょうおん]
ジャン=マリー・ギュイヨーJean-Marie Guyau1854年10月28日 - 1888年3月31日)はフランス哲学者詩人
== 生涯 ==
フランス、マイエンヌ県の小都市ラヴァルに生まれる。母親のオーギュスティヌ・テュイルリはG・ブリュノの筆名で児童文学作品『2少年のフランス一周』(''Le Tour de France par deux enfants'')(1877年)を書いた人物で、後に哲学者アルフレッド・フイエと再婚した。
幼い頃から詩と哲学に関心をもち、古典を濫読。特に好んだのはヴィクトル・ユーゴーピエール・コルネイユアルフレッド・ド・ミュッセエピクテトスプラトンカントだったという。17歳の時文学の学士号を取得し、エピクテトスの『語録』を翻訳。ストア派の運命肯定の思想に共鳴し、やがて33歳の時肺結核で落命することになっても、にこやかに甘受したという。名門高校リセ・コンドルセで教え、いくつもの教科書を書いたが、体調を崩して南仏で療養生活を送るようになり、その地で哲学書や詩作品を多数著した。
主著『義務も制裁もない道徳の素描』はたいへん革新的な著作であり、ニーチェに深い感銘を与えたといわれている。また、日本でも大杉栄が非常に影響を受けており、大杉によればベルクソンもギョイヨーに深く影響を受けているという(森山重雄『実行と芸術』塙書房,1969,152頁)。
ギュイヨーの妻は、ピエール・ユルリック(Pierre Ulric)の筆名で児童文学の作品集を2冊出版している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャン=マリー・ギュイヨー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jean-Marie Guyau 」があります。




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