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ジャン・ローラン : ミニ英和和英辞書
ジャン・ローラン[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

ジャン・ローラン : ウィキペディア日本語版
ジャン・ローラン[らん]

ジャン・ミッシェル・ローラン=ル・ジャンティ(''Jean Michel Rollin Le Gentil''、1938年11月3日 - 2010年12月15日)は、ファンタスティクジャンル (fantastique) の映画で最も知られるフランスの映画監督、映画製作者、俳優、小説家。フランスパリヌイイ=シュル=セーヌ出身。ローランはフランス初の吸血鬼映画(1968年『The Rape of the Vampire (''Le Viol du vampire'') 』)とフランス初のスプラッター映画(1978年『殺戮謝肉祭/屍肉の晩餐 (''Le Raisins de la mort'') 』)を製作したと認識されている。また彼は、フランスの成人向映画の草分けの1人でもある。
==来歴==
彼の父は、クロード・マルタンという芸名の俳優だった。ローランの兄弟オリヴィエは俳優でもあり、「オリヴィエ・マルタン」の芸名で何本かローランの映画にも出演した。彼の母、デニス・ローラン=ル・ジャンティは、ジョルジュ・バタイユの愛好者だった。
伝統的なフランスとドイツの表現主義の映画、古典的なアメリカのホラー、昔の連続物、コミック、幻想文学、シュルレアリスム芸術に影響されたローランのファンタスティク映画は、当然のように一種の視覚的な詩であると同時に、官能的な恐怖と奇怪な美に彩られていた。彼の詩的なイメージの多くには最小限の会話と、単純だが心に残る音楽を伴っている。そしてテンポは通常ゆったりとしている。これらの特質の全ては、一般にシュールで夢のようであると言われる趣きに寄与している。
限られた予算にもかかわらず、ローランは素晴らしいロケーションで撮影することができた。岩が多いセーヌ=マリティーム県ディエップの浜辺、壮大な城 (châteaux) 、起伏に富んだ田園地方、ゴシック的雰囲気に満ちた墓地。彼以前のF・W・ムルナウのように、ローランは彼の特異なイメージの実現手段として、ホラージャンル(特に吸血鬼物)の様式をよく利用した。彼の映画においては結末、筋書、会話、物語は、視覚的な美に対して従属的になる傾向がある。
最初のうちはローランの映画は、観客や批評家に受け入れられなかった。彼の最初の映画『The Rape of the Vampire (''Le Viol du vampire'') 』は、観衆が野次り、叫び、スクリーンにゴミを投げつるという醜事を引き起こした。映画に対する反応は、ローランに映画の仕事を辞めることを考えさせる程、敵意に満ちていた。続く数作の映画も、賛辞を得る事はできなかった。辛辣なフランスの映画評論家は、彼らが俗悪で素人臭くナンセンスだと感じた、彼の独特のスタイルを表現する軽蔑的な造語「Rollinade」を編み出した。後にファンはこの言葉を受け入れ、誇りをもって用いている。
高尚な芸術とエロチックな恐怖の入り交じる、ローランの独特な世界が商業的な成功を収められない一方で、エロチシズムを映画に取り入れる彼の能力は、フランスの成人向映画の黎明期において、成人映画監督としての安定した仕事を彼にもたらした。ローランはミシェル・ジャンティ、ミシェル・ガン、ロベール・ザビエルなど様々な変名を用い、1973年から1980年代後半にかけて、気軽なソフトコアコメディ複合作品からハードコアポルノに至る多くの成人映画を監督した。1975年の『''Phantasmes'' 』は練り込まれた物語を持ち、正統的な俳優を起用した成人映画を作ろうというローランの試みであった。しかし平均的な観衆はそのようなものには興味を示さなかった。ローランは資金調達のため製作者の求めに応じ、自作のシリアスな映画の成人バージョンを何作か製作した。(『血に濡れた肉唇 (''Lèvres de sang'') 』『猟奇殺人の夜 (''La Nuit des traquées'') 』)
『''Vibrations sensuelles'' 』の製作中、ローランはフランスのアダルトスター、ブリジット・ラーエの演技力を評価し、次作のホラー映画、1978年の『殺戮謝肉祭/屍肉の晩餐 (''Les Raisins de la mort'') 』への出演を望んだ。ラーエは役を完璧にこなし、今日まで続くローランとの仕事上の関係が始まった。
ローランは、たびたびフランスの雑誌「Fascination」と「Sex Stars System」の編集長である、ジャン・ピエール・ブーソー (''Jean-Pierre Bouyxou'') と共同で仕事をした。
世界中で映画がDVD化され、ローランは新世代のファンを獲得し、批評的・学術的な注目を集めた。(2008年)現在、彼はパリに住み、2000年代に入ってからも数本の映画を監督した。
2010年12月15日、急逝〔French Horror Director Jean Rollin Passes Away Filmshaft 2010-12-16〕。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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