|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
ジャン=アンドレ・フィエスキ(Jean-André Fieschi、1942年5月5日 - 2009年7月1日)は、フランスの映画作家、映画批評家、俳優である。フランス国立映像音響芸術学院(''La Fémis'')教授。 == 人物・来歴 == 1942年(昭和17年)5月5日、フランス・コルシカ島のコルス=デュ=シュド県アジャクシオに生まれる。 やがて首都パリに移り、19歳になる1961年(昭和41年)から『カイエ・デュ・シネマ』誌の編集に携わる。当時の編集長はエリック・ロメールであった。 1963年(昭和38年)からは編集長がジャック・リヴェットに代わった。同年、ジャン=リュック・ゴダールが監督したオムニバス映画『ロゴパグ』の一篇、『新世界』に出演し、18分の短篇映画『クイシャール、バロックの永続性』で映画監督としてデビューした。批評家としてもデビューし、記事を書き、ジャン・ルノワール、ルイス・ブニュエル、ジョセフ・フォン・スタンバーグ、ロベルト・ロッセリーニ、マルセル・パニョル、ルキノ・ヴィスコンティ、ジャン=マリー・ストローブらにインタヴューをした。 1965年(昭和40年)、批評家のノエル・バーチと映画養成研究所(''Institut de Formation Cinématographique'')を設立、そこで、ワレリアン・ボロズウィック、マルグリット・デュラス、ミシェル・ファノ、ジャン=リュック・ゴダール、ピエール・ギヨタ、マルセル・アヌン、アンドレ・オデール、ロベール・ラブージャード、クリスチャン・メッツ、クロード・オリエ、アラン・レネ、ジャン・リカルドゥー、ジャック・リヴェット、ジャン・ルーシュ、アラン・ロブ=グリエらと関わった。 1971年(昭和46年) - 1973年(昭和48年)、高等映画学院(IDHEC)で映画史、編集、演出の科目を教える。 1999年(平成11年)、ジュ・ド・ポーム国立美術館でフィエスキ作品の回顧上映が行われた。 2009年(平成21年)7月1日、ブラジルのサンパウロ州サンパウロ市で死去した。満67歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャン=アンドレ・フィエスキ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|