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ジャン=クレマン・ラブルデット(Jean-Clément Labourdette, 1923年9月5日 - 1945年4月27日) は、第二次世界大戦期ドイツ国(ナチス・ドイツ)の武装親衛隊フランス人義勇兵。武装親衛隊フランス人義勇兵部隊へ入隊したフランス人の最初から3番目の人物(l'engagé numéro 3)。 1943年3月、国家社会主義自動車軍団(NSKK)のフランス人部隊を脱走し、武装親衛隊(Waffen-SS)へ志願入隊。後に第8フランスSS義勇突撃旅団第Ⅱ大隊を経て第33SS所属武装擲弾兵師団「シャルルマーニュ」(33. Waffen-Grenadier-Division der SS „Charlemagne“)に所属し、第57SS所属武装擲弾兵連隊第Ⅰ大隊当直、行進連隊第Ⅰ大隊副官、第57SS大隊第1中隊長を務めた。 独ソ戦の最終局面である1945年4月末、「シャルルマーニュ」師団の生存者の中で戦闘継続を希望した約300名の将兵の1人となり、「フランスSS突撃大隊」(Französische SS-Sturmbataillon)第1中隊長としてベルリン市街戦に参加。4月27日午後、ベルリン地下鉄のトンネル内に侵入したソビエト赤軍部隊との戦闘で死亡した。最終階級はSS義勇少尉(SS-Frw. Untersturmführer)〔Grégory Bouysse « Waffen-SS Français volume 1: officiers »(lulu, 2011)、"Officiers engagés en 1943-1944 : Jean LABOURDETTE"〕。 == 武装親衛隊入隊までの経歴 == 1923年9月5日〔〔DEUTSCHES ROTES KREUZ - SUCHDIENST MÜNCHEN - « VERMISSTENBILDLISTE » p260("SS Gren. Rgt. 57 - FPN 66641, 41592, 35411")〕、ジャン=クレマン・ラブルデットはフランス共和国エーヌ県ジヴレー(Givray)に生まれた〔。 第二次世界大戦勃発後、フランスがナチス・ドイツとの戦争(1940年のフランスの戦い)を経て独仏休戦協定に応じてから1年以上の時が経った後の1942年〔Jean Mabire « Mourir à Berlin »(réédition : Grancher, 1995)p175〕、当時19歳のラブルデットは国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP:ナチス)の機関の1つ「国家社会主義自動車軍団」(NSKK)に参加し、同軍団のフランス人部隊「ドイツ空軍用NSKK自動車集団」(NSKK Motorgruppe Luftwaffe)〔大戦中、国家社会主義自動車軍団(NSKK)は主にドイツ国防軍の兵站部隊・輸送補助部隊として運用された。西方戦役終了後の1940年夏、フランス各地にあるドイツ空軍野戦飛行場に軍需物資を配達する部隊として新たに1個連隊が編成され(国家社会主義自動車軍団へ入隊したフランス人はこの連隊に所属)、以後数年間、同連隊は次のように名称を変遷した。 〕〔Robert Forbes « FOR EUROPE: The French Volunteers of the Waffen-SS »(Helion & Co., 2006)p12脚注〕に所属した。 1943年3月、ラブルデットの所属部隊がベルギーのフラームス=ブラバント州フィルフォールデ(ヴィルヴォールデ)(:nl:Vilvoorde / :fr:Vilvorde)に駐屯していた頃〔Forbes, p15〕、ドイツ陸軍の指揮下で東部戦線に従軍中のフランス人義勇兵部隊「反共フランス義勇軍団」(LVF:ドイツ陸軍第638歩兵連隊)とは別に武装親衛隊(Waffen-SS)においてフランス人義勇兵部隊を創設する運動が始まっていた。この情報を知った国家社会主義自動車軍団のフランス人隊員の中には、ラブルデットのように「脱走」して近隣の武装親衛隊兵舎や募集事務所へ押し掛ける者〔もおり、ラブルデットは武装親衛隊フランス人義勇兵部隊へ入隊したフランス人の最初から3番目の人物(l'engagé numéro 3:志願兵番号3)〔となった(彼はこのことを誇りにしていた)〔Forbes, p435〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャン=クレマン・ラブルデット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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