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ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ : ミニ英和和英辞書
ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ : ウィキペディア日本語版
ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ
ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ (Jean-Charles de Fontbrune, 1935年10月29日 - 2010年12月7日)は、フランスの作家。16世紀フランス占星術師ノストラダムスの『予言集』について信奉者〔便宜上、ノストラダムスの予言に未来のことが正しく書かれていると信じ、それを解読しようとする人々のことをこう呼ぶ。〕の立場から解釈した著書『歴史家にして予言者ノストラダムス』(1980年)が国際的なベストセラーになった。
== 生涯 ==
1935年10月29日〔Fontbrune (1982) p.11〕にサルラの医師マックス・ド・フォンブリュヌ (Max de Fontbrune, 1900年2月6日 - 1959年6月6日) の子として生まれた。マックスの本名はマックス・ピジャール・ド・ギュルベール (Max Pigeard de Gurbert) といい、断絶した分家の姓をもとに「ド・フォンブリュヌ」という筆名を名乗って文筆活動も行なっていた〔Fontbrune (1975) p.I〕。
マックスは信奉者的な立場からノストラダムスの『予言集』を解釈して未来予測を行なっていた人物で、1930年代に関連書を複数出版した。1938年に『解説され注記されたミシェル・ノストラダムス師の予言集』 (Les Prophéties de maistre Michel Nostradamus : expliquées et commentées) をエクス=アン=プロヴァンスで刊行した〔Benazra (1990) p.482〕。反ドイツ的な未来解釈を含むこの著書はよく売れ、翌年にサルラで再版されると1940年までに少なくとも第8版までが刊行された〔Benazra (1990) p.492〕。
彼の反ドイツ的な解釈としては、以下のような例がある。
:百詩篇第5巻17番
:De nuit passant le roi pres d'une Andronne,
:Celui de Cypres & principal guette:
:Le roi failli la main fuit long du Rosne,
:Les coniurés l'iront à mort mettre. 〔''Les Propheties de M. Michel Nostradamus'', Lyon, le 6 septembre 1557, p.84〕〔ここではこの詩の初出となった版の原文を引用した(引用に際して、一部を現代式に綴り直した)。マックス・ド・フォンブリュヌは1605年版を底本として使用していると明言しているが、この詩については有意な差はない。なお、この詩を挙げたのは、ドレヴィヨン & ラグランジュ (2004) p.88 では、この詩の解釈がヴィシー政権の弾圧理由に挙げられているからである。〕
::夜に隘路の近くを王が通り、
::キプロス出身の主要人物が待ち伏せする。
::王は没落し、手勢はローヌ川沿いに逃れる。
::陰謀者たちは彼を死に至らしめるだろう。
マックスは詩の「キプロス」を、女神ウェヌスの隠喩と見なして地名とは捉えず、王はドイツの指導者(つまりアドルフ・ヒトラー)と解釈した。これによって、マックスはこの詩にドイツ軍の敗北と指導者の死が予言されていると主張した〔Fontbrune (1939) p.183, ドレヴィヨン & ラグランジュ (2004) p.88〕。
しかし、ヴィシー政権はこうした解釈がドイツを刺激することを危惧し、1940年11月に発禁処分とした〔ドレヴィヨン & ラグランジュ (2004) p.88〕。レジスタンスはむしろ反ドイツのプロパガンダとして、この本を地下出版の形で再刊したという〔。
戦後になると、1946年に第10版が刊行された。これは、初版をほとんど改変していないという触れ込みではあったが、実際には外れた予言については解釈や位置づけが大幅に変更されるなど、様々な変更がほどこされている〔Benazra (1990) p.504, ベルクール (1982) pp.27-32〕。1958年には第11版が刊行され〔Benazra (1990) p.520〕、その後しばらく開くが、1975年には、息子ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌが自費出版の形でエクス=アン=プロヴァンスにて第12版を刊行した〔Benazra (1990) p.557〕。翌年には『ノストラダムスが本当に語ったこと』 (Ce que Nostradamus a vraiment dit) と改題された上で、ヘンリー・ミラーが寄稿した序文をつけて再版された〔Benazra (1990) p.559, Fontbrune (2003) p.263〕。
マックスの息子ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ、本名ジャン・ピジャール・ド・ギュルベールは製薬会社で外交員として勤務し〔La mort de Jean-Charles de Fontbrune, spécialiste de Nostradamus - Libération 〕、管理職となったが〔高田 (1982) pp.342-343〕、その傍らで1963年以降、自身でもノストラダムスの予言解釈を積み重ねていたという〔フォンブリュヌ (1982) pp.18-19〕。
彼は父親の解釈を土台にしつつも、その誤りを訂正して発展させたと主張していた〔。その成果は、1980年に『歴史家にして予言者ノストラダムス』 (Nostradamus, Historien et Prophète) として出版された。この本は、後述するように国際的な大ベストセラーとなった一方、さまざまな批判も引き起こした。だが、フォンブリュヌはこの本の成功によって自信を深め、(ノストラダムスのセザールへの手紙は未来の最終解読者に宛てたものとする説を踏まえたうえで)自分こそがセザールだと主張した〔ドレヴィヨン & ラグランジュ (2004) p.61〕。
ほかに予言関係の著書としては、聖マラキの予言に関する著書も複数刊行した。それらもまた、聖マラキの予言を信じる立場からの解釈集であり、最初の著書 『マラキの予言、諸教皇の歴史と予言』 (''Les Prophéties de Malachie, Histoire et Prophétie des Papes'', Eds. du Rocher, 1984) については、111部刷られた初版のうち、1部をヨハネ・パウロ2世に献呈したという〔Fontbrune (2003) p.265〕。
フォンブリュヌはその後も アメリカ同時多発テロ事件が起こると同じ年のうちに『ノストラダムス、1999年から2025年へ。ノストラダムスは2001年9月11日の事件を予言していた』 (''Nostradamus, de 1999 à 2025 : Nostradamus avait prédit les événement du 11 septembre 2001'', Eds. du Rocher, 2001) を、世界金融危機が進行すると2009年に『ノストラダムスは予言していた : 金融危機、チベット、中国、コーカサス、イラン、アフガニスタン・・・』 (Nostradamus l'avait prédit : Crise financière, Tibet, Chine, Caucase, Iran, Afghanistan...) を刊行するなど、国際情勢の進展にあわせてシナリオを修正しつつ、改訂版・改題版なども含めて10冊以上のノストラダムスの解釈書を精力的に刊行した。それらの著書のいくつかも他言語に訳され、いくつもの国々で刊行された。
2010年12月7日脳腫瘍のため75歳で歿した〔。最期を迎えたのはブリーヴ=ラ=ガイヤルドの病院だったが〔Nostradamus perd l'un de ses exégètes - SudOuest.fr 〕、遺体は出身地であるサルラに埋葬された〔。その死に際して、サルラの市長ジャン=ジャック・ド・ペレッティ (Jean-Jacques de Peletti) は、弔意を表明した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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