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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジャン=ジャック・ルソー(、1712年6月28日 - 1778年7月2日)は、ジュネーヴ共和国に生まれ、主にフランスで活躍した〔ジュネーヴは当時、フランス王国にもスイス連邦にも属していない共和制の独立都市であった。 ジャン=ジャック・ルソーは自著に「ジュネーヴ市民ジャン=ジャック・ルソー」と署名していた(中央公論新社『哲学の歴史 6』参照)。〕哲学者、政治哲学者、作曲家。一般的には政治哲学や社会思想の側面から語られることが多いが、哲学や倫理学、人間学、自然学の他、音楽や音楽理論、文学や文学理論、舞台芸術などの芸術分野など、幅広い関心を持ち、多方面で独自の思想を残している。 啓蒙思想の時代にあった18世紀フランスで活躍した。ドゥニ・ディドロ、ジャン・ル・ロン・ダランベール、ヴォルテール等、同時代の多くのフランスの知識人とともに百科全書派の一人に数えられる。 == 生涯 == === ジュネーブでの幼年期 === 1712年、フランス語圏の都市国家ジュネーヴにて、市民階級の時計師の息子として出生。生後8日にして母を喪う。 7歳頃から父とともに小説や歴史の書物を読む。この時の体験から、理性よりも感情を重んじる思想の素地が培われた。1725年、父は退役軍人との喧嘩がもとでジュネーヴから逃亡せねばならぬ仕儀となる。兄も家出してしまい孤児同然となったジャン=ジャックは、母方の叔父によって牧師に預けられ、その後、公証人の許で書記の仕事を覚えようとしたり、彫金工に弟子入りするなど苦しい体験をする。3年後、出奔して放浪生活に入る。その後もさまざまな職業を試したが、どの職にも落ち着くことができなかった。その間、仕事を紹介してもらおうと尋ねたジャン=クロード・ゲームという20歳ほど年上の司祭から、温かく励ましてもらったことを、後に「当時、わたしが無為のあまり邪道におちいりそうなのを救ってくれたことで、測りしれぬ恩恵をあたえてくれた」と回想している。〔たとえ成功しても放浪は止むことなく、自分の進むべき道を探求した。 1732年、ジュネーヴを離れ、ヴィラン男爵夫人の愛人となり、その庇護の下でさまざまな教育を受けた。彼は一人で膨大な量の書物を読み、教養を身につけた。また、孤独を好んだ。この時期については晩年、生涯で最も幸福な時期として回想している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャン=ジャック・ルソー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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