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ジャン=ダニエル・ポレ : ミニ英和和英辞書
ジャン=ダニエル・ポレ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ジャン=ダニエル・ポレ : ウィキペディア日本語版
ジャン=ダニエル・ポレ
ジャン=ダニエル・ポレJean-Daniel Pollet1936年6月20日 ラ・マドレーヌ - 2004年9月9日 カドネー)は、フランスの映画監督脚本家ヌーヴェルヴァーグの初期の傑作『酔っぱらってりゃ…』とオムニバス『パリところどころ』の一篇によって知られる。
== 略歴・人物 ==

*1936年6月20日ノール県ラ・マドレーヌに生まれる。上流ブルジョワの家庭に育ち、超エリート校パリ政治学院に進学する。しかし映画に興味を持ち2年で退学してしまう。サントロペの正規軍へのルポルタージュ映画を撮るが編集はされることはなかった。兵役の期間中、仏軍映画局のためにルポを撮った。兵役から帰還し、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督『殺人狂想曲』(1957年2月公開)に助監督としてつく。
*1957年、ポレの映画界でのキャリアは、パリ地域の川べりのギャンゲットで撮られた20分の短編『酔っぱらってりゃ… ''Pourvu qu'on ait l'ivresse...''』に始まる。彼はそこで、踊る人々を撮り、人々の一群から去っていこうとするひとりの人物に注目する。それがクロード・メルキだ。同作は、メルキのシルエットとためらいの近くをなおも撮っていくだろう。この注目された短編は、メルキの演ずるキャラクター「レオン」を配するシリーズ作の第一作であり、そして、憂鬱とおなじくらいにバーレスクを特徴とした大衆的なコメディを貫くポレ映画の2つの側面のひとつを代表する第一作である〔仏語版Wikipedia Jean-Daniel Polletの項の記述より。〕。ポレが脚本と撮影監督も兼ねた本作は、1958年ヴェネツィア国際映画祭で短編賞を獲得した。わずか21歳で名声を得る。
*1960年、長編第一作『''La Ligne de mire''』が完成するが、配給会社がつかず、映画館で商業公開されることはなかった。
*ポレ映画のふたつめの水脈は、45分の中編映画『''Méditerranée''(地中海)』とともに始まる。フォルカー・シュレンドルフと共同で2年がかりで撮影したものである。完全に詩的な映画をつくり出そうとなおももがく。彼の作品のコメンタリーをのちに書くことになるフィリップ・ソレルスあるいはジャン・ティボドーといった作家のクオリティのおかげを一部借りながら、ポレはそのことに成功するだろう。彼は、最終的には、おそらく彼にもっとも一致するところをもつものであるフランシス・ポンジュの作品と出逢うだろう〔。
*1961年、レオンものの第二作『''Gala''』を発表。作曲家アントワーヌ・デュアメルとの遺作に至るまでの長いコラボの歴史は本作から始まる。デュアメルの映画音楽家としてのキャリアもほぼポレとともに始まり、ジャン=リュック・ゴダール気狂いピエロ』『ウィークエンド』、フランソワ・トリュフォー『夜霧の恋人たち』などに楽曲を提供するのはすこし後のことである。
*1964年アンドレ・S・ラバルトジャニーヌ・バザンプロデュースによるテレビドキュメンタリーシリーズ『われらの時代のシネアストたち ''Cinéastes de notre temps''』の『それ自身によるヌーヴェルヴァーグ ''La nouvelle vague par elle-même''〔日本では『ヌーヴェルヴァーグ』というタイトルで東芝EMIからVHS版が1997年9月26日に発売されている。〕』(ラバルト演出)に出演する。他の出演者は、ゴダール、アンリ・ラングロワクロード・シャブロルジャック・ドゥミジャン・ルーシュアニエス・ヴァルダジョルジュ・フランジュジャック・ロジエ、トリュフォー、ジャック・リヴェットラウール・クタールジャン=クロード・ドーファンアンナ・カリーナフランソワ・メーストル
*1989年4月、撮影中の列車にはねられ、27か所骨折という瀕死の重傷を負う。90年代初頭の日々を犠牲にして克服し、最後の作品群をカドネーの自宅のすぐ近くで撮ることになるだろう。
*2004年9月9日ヴォクリューズ県カドネーで死去。68歳。
*2006年ジャン=ポール・ファルジエは、ポレの遺作である映画『''Jour après jour''』を完成させる。身体的にとても衰弱し、生きるための時間がほとんど残されていないことを知りながら、この映画人は、自らにとっての最後の年の写真でできた映画を演出しようと決めたのだ。彼の邸宅、いくつかの季節、果物、花々。ポレは紙の上で、その死の前夜のモンタージュをすでに終えていたのだ〔。本作でのポレは、撮影監督・脚本・主演としてクレジットされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャン=ダニエル・ポレ」の詳細全文を読む




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