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ジャン=テオドール・ラドゥー : ミニ英和和英辞書
ジャン=テオドール・ラドゥー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジャン=テオドール・ラドゥー : ウィキペディア日本語版
ジャン=テオドール・ラドゥー[ちょうおん]

ジャン=テオドール・ラドゥーJean-Théodore Radoux 1835年11月9日 - 1911年3月20日)は、ベルギー作曲家ファゴット奏者
== 生涯 ==
ラドゥーはリエージュに生まれた。彼は1845年、9歳の頃からリエージュ王立音楽院においてジョゼフ・ドーソワーニュ=メユールの下で対位法を学び始めた。翌年には音楽理論で1等賞を獲得し、その後はしばらくの間チェロピアノの訓練に励むようになる。しかしながら、これらの楽器演奏が上達しなかったことに落胆した彼は、続く2年間音楽から遠ざかってしまった。
1847年、教授のバッヒャ(Bacha)に説得されたラドゥーは音楽院に復帰し、教授から指導を受けてファゴットを学び始めた。ファゴットで才能を開花させたラドゥーは、数年間の研鑽の後にファゴット演奏で1等賞並びにゴールドメダルを受賞した〔。彼は1850年代の初頭をしばらくパリで過ごし、ジャック・アレヴィ作曲を師事した〔。
ラドゥーは1858年に作曲していたカンタータ『''Le Juif errant''』により、1859年のベルギーのローマ大賞〔訳注:本家のローマ大賞に倣って1832年に創設された賞。(Prix de Rome (Belgium))〕を受賞した。彼は他にも2つのオペラ、1曲のオラトリオ、2つの交響詩、序曲を1曲と数曲の合唱、声楽作品、そして教会音楽を作曲している。
1856年にバッヒャが死去するとラドゥーは他の応募者との競争を勝ち抜き、師の跡を継ぎ音楽院でファゴットの教授となった。1872年には音楽院の院長に任用され、その後の生涯40年近くにわたってこの職を務めた。彼の著名な門下生にはジャン・ロジステルなどがいる。ラドゥーがリエージュで生涯を閉じると、シルヴァン・デュピュイが後任に就いた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャン=テオドール・ラドゥー」の詳細全文を読む




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