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ジャン=バティスト・カリエ : ウィキペディア日本語版 | ジャン=バティスト・カリエ
ジャン=バティスト・カリエ (Jean-Baptiste Carrier、1756年3月16日 – 1794年12月16日)は、フランスの革命政治家である。「ナントの溺死刑(共和国の結婚)」で有名。 オーリヤック出身。公証人。フランス革命が勃発すると熱心に支持して、1792年9月に国民公会議員に当選。山岳派に属した。国王裁判では死刑票を入れ、即時執行を主張。革命裁判所の創設にも尽力した。ジロンド派追放後、派遣議員となって最初ノルマンディー地方に派遣され、次にヴァンデの反乱で脅かされていたナント市に派遣された。反乱軍が壊滅し数千人が捕虜となりナントに連行されるとロワール川へ廃船を浮かべそこに詰め込んで溺死させた。そのことをマクシミリアン・ロベスピエールから批判され罷免となる。テルミドールのクーデターで活躍し、ロベスピエールの後継者を自認したが、すぐに失脚。国民公会の追及を受け、大量虐殺で告発されてパリのグレーヴ広場で処刑された。
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