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ジャン=ルイ・ド・ランビュール : ミニ英和和英辞書
ジャン=ルイ・ド・ランビュール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジャン=ルイ・ド・ランビュール : ウィキペディア日本語版
ジャン=ルイ・ド・ランビュール[ちょうおん]
ジャン=ルイ・ド・ランビュール (、1930年5月19日2006年5月20日) は、フランスのジャーナリスト、作家、翻訳家、文化担当官。フランス語全名は、ジャン=ルイ・ヴィコント・ド・ブレティゼル・ランビュール()。

== 生涯 ==
両親は、ブラジル出身の母、ルシール・カロジェーラと、フランスのピカルディ出身の父、グラーフ・ベルナール・デ・ブレティゼル・ランビュール。両親の母国語である、ポルトガル語とフランス語を学んだだけでなく、早くからドイツ語とドイツ文学にも触れ、後に翻訳家として大成功を収めた。トゥールーズとパリの高校を卒業後、両市の大学に通い、パリ政治学院で法学とドイツ語の学士号を取得、また、テュービンゲン(ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州)の大学で、ドイツ語文学を学んだ。1958年、月刊誌リアリティーズで働き始め、数多くの芸術家達、ヘルベルト・フォン・カラヤンカールハインツ・シュトックハウゼンルキノ・ヴィスコンティなどについての記事を書いた。1968年以降は、美術誌コネッサンス・デ・ザール、レクスプレス、日刊新聞ルモンドで、25年以上に渡って記事を書き続けた。彼の関心は特に、作家の仕事への取り組み方と、どのようにして文学が生まれるのかということに向けられていた。それゆえ数え切れないほどの作家達に接触を試み、ロラン・バルトジュリアン・グラックジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ、エレ-ヌ・シクス、ヘルタ・ミュラーエルンスト・ユンガートーマス・ベルンハルトギュンター・グラスハインリヒ・ベル、その他多くの作家達が彼との対談に応じた。それを元に、彼の主要作品であり、25人もの著者との対談を収録した、「、パリ フラマリオン出版、1978年」(作家の仕事部屋)が生まれた。この著書は日本語に翻訳され、1979年東京で刊行された(岩崎力訳、中央公論社)。また70年代初め以降、ランビュールは、ボンでフランスの文化担当官を務め、1975年にはフランス外務省文化課に勤務した。1987年と1995年の間に、初めにザールブリュッケン、その後フランクフルト・アム・マインで、フランス語学院の校長を務めた。翻訳家としても有名になり、とりわけ、パウル・ニゾンは彼を通して初めてフランス市民に知られるようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャン=ルイ・ド・ランビュール」の詳細全文を読む




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