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ジャーミー : ミニ英和和英辞書
ジャーミー[じゃー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ジャー : [じゃー]
 【名詞】 1. jar 2. (n) jar
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジャーミー : ウィキペディア日本語版
ジャーミー[じゃー]

ヌールッディーン・アブドゥッラフマーン・ジャーミー(、Nur ad-Dīn Abd ar-Rahmān Jāmī、1414年 - 1492年)は、15世紀イランペルシア)で活躍したスーフィー詩人。雅号の「ジャーミー」は、彼の出身地であるジャームの名前から取られている〔黒柳『ペルシア文芸思潮』、232頁〕〔『ユースフとズライハ』、301頁〕。ジャーミーが活躍したティムール朝時代は近世ペルシア文学が衰退期に差し掛かった時代であり、その中で優れたペルシア語詩を残したジャーミーは「詩人たちの最後」「最後の詩人」と呼ばれている〔堀川「ジャーミー」『中央ユーラシアを知る事典』、242頁〕。また、詩作、神学以外にハディースアラビア語文法、音楽についても深い学識を有していた〔井本英一「ジャーミー」『アジア歴史事典』4巻収録(平凡社, 1960年)、251頁〕。
== 生涯 ==
1414年にホラーサーン地方のヘラート近郊の町ジャームで、裁判官ニザームッディーン・アフマドの家にジャーミーは生まれた〔黒柳『ペルシア文芸思潮』、231-232頁〕〔『ユースフとズライハ』、301-302頁〕。ジャーミーの祖父シャムスッディーンはエスファハーン近郊のダシュトからジャームに移住した人物であり〔、初期はダシュトにちなむダシュティーの雅号を用いていた〔ヒル「ジャーミー」『世界伝記大事典 世界編』5巻、73-74頁〕。ジャーミーは5歳のとき、メッカ巡礼の途上でジャームに立ち寄ったナクシュバンディー教団のホージャ・ムハンマド・パールサーと出会う〔。幼時からジャーミーはスーフィズムイスラーム神秘主義)に強い関心を抱き、後年に著した『親愛の息吹』の中で当時の喜びを回想した〔黒柳『ペルシア文芸思潮』、232-233頁〕。ジャーミーが幼いころに一家はジャームからヘラートに移住し、ジャーミーはヘラートのニザーミーヤ学院に入れられる。成長したジャーミーはウルグ・ベクが統治するサマルカンドに留学し、神学、法学、哲学、文学を修めた。サマルカンド時代の師であるカーディー・ザーデは、ジャーミーの素質に高い評価を与えた〔『ユースフとズライハ』、302頁〕。
9年に及ぶという留学期間の後にヘラートに戻ったジャーミーは、シャー・ルフが建てた学校で教師を務める〔。自己の内面に向き合うことで、ジャーミーの精神に大きな変化がもたらされたと言われている〔『ユースフとズライハ』、302-303頁〕。ジャーミーはサマルカンド時代に接したナクシュバンディー教団のサアドゥッディーン・カーシュガリーに師事し、スーフィズムの世界に身を置いた。名声が高まるにつれて、ジャーミーはヘラートの西の黒羊朝白羊朝の君主からも目をかけられるようになった〔。
ジャーミーはヘラートの支配者であるフサイン・バイカラの庇護を受け、アリー・シール・ナヴァーイーホージャ・アフラールらの文人・宗教家と交流を持った〔。マシュハド巡礼などの例外を除き、ジャーミーは生涯の大半をヘラートで過ごした〔〔黒柳『ペルシア文芸思潮』、233頁〕。1472年にジャーミーはバグダードを経てメッカ巡礼を果たし、ダマスカスアレッポタブリーズに立ち寄ってヘラートに帰着した〔。
晩年のジャーミーは老衰が著しく、最後に発狂したと伝えられている〔。1492年にジャーミーはヘラートで没する〔。ジャーミーの葬儀には王子や重臣が全員参列し、参列者は先を争って彼の棺を運ぼうとしたと、友人であるナヴァーイーは書き残した〔黒柳『ペルシア文芸思潮』、233-234頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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