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ジュネーヴ聖書()は、16世紀の英語訳聖書である。その歴史上、最も重要なうちの一つに数えられる〔新見 p3〕。初版は1560年に発行され、欽定訳聖書より約50年先行する〔新見 p3〕。ジュネーヴ聖書は宗教改革期プロテスタント運動における主要な聖書で、ウィリアム・シェークスピア、ジョン・ミルトン、ウィリアム・ブラッドフォードと『天路歴程』を著したジョン・バニヤンらによって用いられた〔1599 Geneva Bible - Genevabible.com 〕。メイフラワー号に乗ったピルグリム・ファーザーズによりアメリカ大陸へもたらされた聖書のうちの1冊であり〔ギルモア p82〕〔新見 p3〕、英国においては多くのピューリタンに読まれた。またイングランド内戦の際、オリヴァー・クロムウェルに与する兵士たちにより携行された〔新見 p12〕〔寺沢 p34〕。 ジュネーヴ聖書が重要であるとされる要因は、一つに大量印刷技術により一般市民が直接手に取ることができるようになり、結果広く流布したことによる。また各巻の序文、地図、表、挿絵、傍注、一つの語句から複数の関連する聖句を参照可能にした、いわゆる「スタディバイブル」の先駆けでもあった〔Study of the King James Bible by Cleland Boyd McAfee 〕 。ジュネーブ聖書の簡潔かつ力強い文体により、多くの読者は教会公認の「大聖書」()よりもこちらを好んだ〔新見 p10〕〔ギルモア p32〕。 == 経緯 == 女王メアリー1世が宗教改革者を弾圧していたイングランドから〔寺沢 p32〕、当時ジャン・カルヴァンらが共和制を敷いていた、スイスのジュネーヴに亡命してきたプロテスタント神学者たちがいた。ウィリアム・ウィッティンガムとその協力者であるマイルス・カヴァーデイル、クリストファー・グッドマン、アンソニー・ジルビー、トーマス・サンプソン、ウィリアム・コールらである。ウィッティンガムは後にカルヴァンの妹と結婚している〔寺沢 pp32-33〕。 ジュネーヴはフランス語圏の都市であり、聖書学の権威であるテオドール・ド・ベーズがフランス語聖書の改訂を行っていることに感化された彼らは、新しい英語訳聖書の作成を志した〔寺沢 p32〕。まずウィッティンガムがティンダル訳聖書をベースに、さらにベーズのラテン語訳聖書を参考にして、1557年ジュネーヴ聖書の新約部分が誕生した〔寺沢 p32〕。旧約についてはヘブライ語に精通していたジルビーらにより同年詩篇が訳出され、1560年に旧新約聖書が完成し、エリザベス1世にも献じられた〔寺沢 pp32-33〕。しかし完訳版がイングランドで出版されるのには1576年まで待たされることになった。スコットランドでは1579年に出版された。これは同国最初の英語訳聖書であり、また同国の公認訳聖書と定められ、富む者でこれを持たぬ者は罰金£10が科せられた〔ギルモア p82〕。 最初にジュネーヴで印刷されてからエリザベス1世の治世の間に70版、1611年までに120版を重ねた〔新見 p3〕。出版にかかる諸費用は、亡命者の一人であるジョン・ボードレイが負担していたと考えられている〔新見 p6〕。1576年以降は、新約聖書がエリザベス1世配下の秘書であるローレンス・トムソンによる改訂版に変更されている〔新見 p10〕。 ジュネーヴ聖書の特色である傍注には、カルヴァン主義とピューリタンの思想が色濃く反映されている〔新見 p10〕。それゆえイングランド国教会に立つジェームズ1世はジュネーヴ聖書を異端と見なしてこれを嫌い、欽定訳聖書の作成を思い立ったと言われる〔寺沢 p34〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジュネーヴ聖書」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Geneva Bible 」があります。 スポンサード リンク
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