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ジュリア・ダッドレー : ウィキペディア日本語版
ジュリア・ダッドレー[ちょうおん]

ジュリア・エリザベス・ダッドレー(、1840年 - 1906年6月12日)は、明治日本で活動した宣教師教育者アメリカ合衆国イリノイ州ネイパービル出身。神戸女学院大学の前身である神戸ホーム、聖和大学〔2009年4月1日に学校法人関西学院と合併()。〕の前身である神戸女子伝道学校(後の神戸女子神学校)を設立した。
== 経歴 ==
1840年アメリカ合衆国イリノイ州ネイパービルに生まれる。ロックフォード大学に在籍して卒業した。
アメリカン・ボードが行った、日本の神戸で女子教育にあたる女性宣教師の募集に名乗りを上げ、1873年3月にイライザ・タルカットとともに神戸に赴任。伝道活動を行う傍ら、同年9月にタルカットとともに民家(花隈村、のちに北長狭)を借り、「24人の少女と婦人のための学校」と呼ばれる学校を開設。同校は兵庫県初の女学校であった〔谷口1986、110頁。〕。1875年、旧三田藩主九鬼隆義らの支援を受け、タルカットとともに諏訪山の麓に女学校「神戸ホーム」(後の神戸英和女学校、神戸女学院大学)を設立。しばらく同校で教鞭をとったが1880年に職を辞し、従兄妹のマーサ・バローズとともに神戸女子伝道学校(後の神戸女子神学校。聖和大学〔の前身)を設立。同校は日本最古の女性教職者養成学校である〔竹中2000、11頁〕。
1901年に病を患い、アメリカへ帰国。カリフォルニア州南部で療養生活を送り、1906年6月12日、同地で死去した〔竹中2000、111-112頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジュリア・ダッドレー」の詳細全文を読む




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