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ジュリオ・アウグスト・エンリケス(Júlio Augusto Henriques、1838年1月15日 - 1928年1月15日)は、ポルトガルの植物学者、コインブラ大学の教授である。コインブラ大学植物園の標本館を発展させた。 ==略歴== ブラガ県のアルコ・デ・バウルで生まれた。ブラガの学校で学んだ後、コインブラのサン・ベント大学に入学し法律を学び1859年に卒業するが、自然科学を学ぶためにコインブラ大学に入学し、進化論の研究などをした。1866年からコインブラ大学の自然科学の助教となり〔、1869年に植物学、農学、動物学、化学、鉱物学の臨時講師になった。植物学を好み、1873年に大学の植物園の仕事もした。植物学部門のリーダーとなり、研究設備を整え、学生のフィールドワークの機会を増やした。文献を整備し、標本館を作るために、標本を集めた。スペインやポルトガルの植物標本を集めた、ヴィルコム(Heinrich Moritz Willkomm)をはじめとする多くの学者から多くの標本を入手した。ヨーロッパの各地の植物園などと協力し植物園を充実させ、コインブラの植物園をポルト植物研究の中心的地位に高めた。 1876年に 「植物園」(''O Jardim Botanico'')を出版した。1880年に「ブロテロ協会」(Sociedade Broteriana:ポルトガルの植物学のパイオニア、フェリックス・アヴェラール・ブロテロに因んで命名された。)を設立し、ポルトガルの植物愛好家を集め、紀要に多くの記事を書き、植物に関する知識を広めた。ポルトガル各地で採集旅行を行った〔 Julio Augusto Henriques, Aurélio Pereira da Silva Quintanilha and Luiz Wittnich Carrisso (Editors)〕。 著書にダーウィンの生涯、業績を書いた「''Carlos Darwin''」(1882)やエストレーラ山脈での植物調査に基づく、「''Expedicao scientifica a Serra da Estrella''」(1882)、カラムーロ山地の調査に基づく、「''Uma excursao botanico na Serra do Caramullo''」 (1886)、アフリカのポルトガル植民地やサントメ・プリンシペ島の植物に関する 「''Contribuição para o estudo da flora d'Africa: Flora de S. Thome''」(1886)などがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジュリオ・アウグスト・エンリケス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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