翻訳と辞書
Words near each other
・ ジュリエット級潜水艦
・ ジュリエナ
・ ジュリエーン語
・ ジュリオ・アウグスト・エンリケス
・ ジュリオ・アンジョーニ
・ ジュリオ・アンドレオッチ
・ ジュリオ・アンドレオッティ
・ ジュリオ・オスカー・メチョソ
・ ジュリオ・カッチーニ
・ ジュリオ・カンパニョーラ
ジュリオ・ガボッティ
・ ジュリオ・ゴンザレス
・ ジュリオ・セザル
・ ジュリオ・セザル・ゴジーニョ・カトーレ
・ ジュリオ・セザル・ソアレス・エスピンドラ
・ ジュリオ・セザル・ダ・シルヴァ
・ ジュリオ・セザル・ピニェイロ
・ ジュリオ・セザール
・ ジュリオ・セザール・ソアレス・エスピンドーラ
・ ジュリオ・セザール・ダ・シウバ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジュリオ・ガボッティ : ウィキペディア日本語版
ジュリオ・ガボッティ

ジュリオ・ガボッティ(Giulio Gavotti、1882年10月17日 - 1939年10月6日)は、イタリアの軍人、パイロットである。1911年に伊土戦争で、飛行機による最初の爆撃を行った。さらに最初の夜間任務軍事任務も行った。
== 生涯と飛行機による初爆撃 ==
ジェノヴァ生まれ。ボローニャで工学を学び、1906年に卒業した。工学の研究を続け、イタリア軍の士官候補生となり、橋梁の専門家としてローマなどで勤務した。1910年11月17日に飛行免許を取得し、ファルマン機で飛行をはじめ、禁止されていたローマ、バチカン上空の飛行を行ったことにより逮捕されたこともあった。ボローニャからヴェネツィアリミニの長距離飛行演習では、2位となった。1911年10月14日、9機の航空機と11人のパイロットからなる飛行戦隊の一員となった。
1911年11月1日、ガボッティはエーリッヒ・タウベ機でリビアのオスマン帝国軍に対して、4個の手榴弾を皮袋に入れて携行し、600フィート(183m)の高さから起爆装置を装着しては投下した。これが飛行機による歴史上、最初の爆撃とされている。オアシスやオスマン軍のキャンプに落下したが、負傷者は出なかった。1899年のハーグ条約で気球からの爆弾の投下は禁止されていたので、オスマン帝国は抗議したが、イタリアは飛行機に禁止処置は及ばないと主張した。
1912年3月4日にはガボッティは、同じくリビアの戦闘で、史上初の夜間作戦を行った。
1912年に本国へ帰還するとトリノの部隊で、パイロット志願者を訓練する仕事をし、飛行教官、およびテストパイロットとして1917年まで働き、空軍の技術部の、試験飛行部隊の指揮官となった後、イタリア王立空軍(Regia Aeronautica)で管理と技術の部門で働いた。1929年に退役して、1928年に設立された地中海航空(Società Aerea Mediterranea)の運行管理者になり、1931年にSAMなどの4社の航空会社が統合されて、国営航空会社、アラ・リトリア(Ala Littoria)が設立されるまでその地位にあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジュリオ・ガボッティ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.