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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジュルドンパーク(Jerudong Park)は、ブルネイ・ダルサラーム国ブルネイ・ムアラ地区ジュルドンにある遊園地。東南アジア最大で最も予算が投じられた遊園地であり、ブルネイ政府が10億ブルネイ・ドルを費やして建設した。香港ディズニーランドの第1期よりも面積が大きい。 特筆すべきは、開業からの2000年までの6年間ジュルドンパークの入場料やアトラクションの利用料が無料であったということである〔Timothy Tye"Jerudong Park, Brunei "(2011年8月11日閲覧。)〕。すなわち、来園者はただアトラクションに乗るために順番待ちをすればよかった。しかしながら、来園者及び観光客の数の減少が著しくなり、 1回の入場で15ブルネイ・ドルの入場料を徴収し、すべてのアトラクションにチケット制を導入した。ジュルドンパークの公式ウェブサイトによれば、多くのアトラクションが売りに出されている。 ジュルドンパークの敷地は現在、最初期の第1期・第2期の規模へと縮小されている。また、利用方法を変更して、チケットカードシステムを導入した。これにより、再び入場料が無料に戻され、アトラクションを利用する時にチケットカードを購入することになった。チケットカードは8ドルと10ドルを販売している。チケットカードは、プリペイドカードであり図書カードのようにパンチで穴を開ける方式になっている。すなわち、1人が1回アトラクションを利用すると1つ穴を開けられる。この方式の採用により、来園者は利用したいアトラクションを選ぶことができ、あと何回利用できるかが一目で分かる。8ドルのチケットカードは5回利用できるが、うち1回分がサービスとなっている。10ドルのチケットカードは8回利用でき、うち3回分がサービスとなっている。なお、チケットカードはグループで共有でき、複数人で同 時に同一のアトラクションを利用する場合、人数分だけチケットカードに穴が開けられる。 入場料の無料化によって、来園者数は増加し、特に週末は数多くの家族がピクニックに訪れ、アトラクションに長い行列を作っている。 == 歴史 == ジュルドンパークは1994年にブルネイの国王・ハサナル・ボルキアが48歳の誕生日の記念に国民への贈り物として開業させた〔。 1996年7月16日に園内の円形劇場でマイケル・ジャクソンによる無料コンサートが開かれ、60,000人が来園した。このコンサートはブルネイの国王・ハサナル・ボルキアの50歳の誕生日を祝して開かれ、ブルネイの王家も来場したが、国王自身は来園しなかった。ジャクソンは1997年の大晦日にHIStoryワールドツアー(HIStory World Tour)のブルネイ公演のため、再び訪れた。 2006年8月、運営企業は遊園地の再生計画の実行を開始した。計画は自社のエンターテイメントチームのGIGGLESの再結成から始まった。そのチームはウィルヘルム・バヨナ(Wilhelm Bayona)が監督を務め、7人のフィリピン人エンターテイナーによって構成されている。バヨナは後にジュルドンパークのイベント・エンターテイメントコーディネーターに就任した。GIGGLESは活動領域を広げる一環として、学校訪問プログラムを再開し、私的な催しやショッピングモールでのイベントなどの予約を受け付けるようになった。 2006年12月には、目玉として地方のアーティストを招待する、12月の週末特別プログラムを開始した。このプログラムは地元住民から良い反応が得られ、一晩で6,000人以上の観客を動員した。 2007年、ジュルドンパークは「キッズデー」と呼ばれる一連の活動を開始した。主な対象は子どもであるが、ゲームに父母のように大人を巻き込むという「家族」の要素があり、家族をも対象としている。また、GIGGLESはブルネイ国内のショッピングセンターで定期公演を開始した。 2007年の末に、GIGGLESは学校・一般のイベント・パーティーにも出演するようになった。一時期に比べてエンターテイナーの数は大幅に減少していたが、ショーは立体手品ショーや泡のショーを含むものへと変化し、これはブルネイでは新奇なものであった。 ジュルドンパークは園内の広場や円形劇場での催しや公演の数を更に増している。例えば2008年には、4月にメットライフ2008カンファレンスディナー、5月にDSTブロードバンド・ロードショー、Blue Waters・HSBCホールディングス・地元団体の主催による催しなどがある。 2008年後半に、ジュルドンパークは地元のアーティストを目玉とする「ファミリーコンサートの夜」(後に「地元が一番―家族で楽しむ夜」に改称)を企画した。このプログラムの目的は、地元のタレントが才能を発揮する場を提供すると同時に、彼らのパフォーマンスを応援、ひいきにする客を発掘することにある。これらのショーは家族向けで文化的・宗教的規範に則ったものになるよう、検閲委員会によるチェックが行なわれている。今日までに、ア・バンド・ワンス(A Band Once)、エル・ワン(L.One)、カラコマ(Karacoma)、アイ・ミーン・ザ・スネイクス(I Mean the Snakes)、ズル・エフ(Zul F)、マリア(Maria)などのアーティストやエクスプレッション音楽学校(Expression Music School)、バレットレジーナ(Ballet Regina)のような学校によるパフォーマンスがなされた。 この年から入場料を大人5ブルネイ・ドル、子ども3ブルネイ・ドルに値下げした。また、アトラクション1回の利用に使えるチケットの料金を2ブルネイ・ドルとした。音楽の噴水は未だにアジアで最高の噴水の1つで、毎週水曜日から日曜日の午後7:00から毎正時に規則的に運用されている。音楽の噴水の観覧料金も2ブルネイ・ドルである。新しい音楽の噴水の運用計画では、午後8:30と午後9:30の2回となると発表された。また、この計画により、ニューヨークのタイムズスクエアにある水晶時計と噴水のような特徴が復活したと見られている。 2009年12月12日、ジュルドンパーク運営者は新しいチケットシステムを発表した。新システムにより、入場料が無料化され、アトラクションを利用する際にチケットカードを購入する仕組みに変更された。これは大きな成功を収め、家族を含む多くの客がジュルドンパークに来園した。 ジュルドンパークは再生計画を進め、園内や庭園を改造し、より明るく、より清潔で、より見た目の良いものに生まれ変わった。経営チームの遊園地日中運営管理者ハジ・アスマリー・ビン・ハジ・ブジャン(Hj Asmalee bin Hj Bujang)と乗り物・施設メンテナンス長のエングル・エドゥアルド・マラクェ(Engr Eduardo Malaque)は、それぞれゼネラルマネージャーのルッセル・ファイニー(Russell Finney)の策定した方針に則り、美しく安全で訪れて楽しい場所にするために努力している。 2011年3月19日にリニューアルオープンを果たした〔"Jerudong Park 19th March 2011 « My Gaiden Photoblog "2011年3月21日(2011年8月11日閲覧。)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジュルドンパーク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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