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ジュール・ロマン : ミニ英和和英辞書
ジュール・ロマン[じゅーる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ジュール : [じゅーる]
 【名詞】 1. joule 2. (n) joule
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジュール・ロマン : ウィキペディア日本語版
ジュール・ロマン[じゅーる]

ジュール・ロマン(Jules Romains, 1885年8月26日 - 1972年8月14日)は、フランスの作家、詩人、ユナニミスム文学運動の主導者。本名、ルイ・アンリ・ジャン・ファリグル(Louis Henri Jean Farigoule)。
== 生涯 ==
1885年、オート=ロワール県サン=ジュリアン=シャトゥイユに生まれ、直後に、小学校教員の父の転勤でパリに移り、のち、コンドルセ高等中学校(Lycée Condorcet)に学んだ。1902年高等師範学校(École Normale Supérieure)に進み、哲学の大学教授資格を得て1909年卒業後、1919年まで各地の教職を務めた。
高等中校時代、雑踏の中でユナニミスム(Unanimism 、『一体主義』)を感得したという。高等師範学校時代の1906年、ユナニミスムの小説『更生の町』を出版し、また、ジョルジュ・デュアメルシャルル・ヴィルドラックら『アベイ派』と、親交を結んだ。デュアメルらは、1906年から1908年、パリ南東クレテイユの『クレテイユ僧院』(Abbaye de Créteil)に籠もって理想主義的文学共同生活を営み、『アベイ派』と呼ばれた。
1911年の小説『ある男の死』、1913年の、小説『仲間たち』、詩集『歌と祈り』などで世に知られ、1922年 - 1929年の三部作小説『プシュケ』、1923年の、戯曲『ル・トルーアデック氏の放蕩』、戯曲『クノック』などで、文名を確かにした。
1932年から1946年にかけ、全27巻の大河小説、『善意の人々』を出版した。
1914年第一次世界大戦勃発を契機に、政治問題にも関心を抱き、1927年、「国民総動員」的法律への抗議運動に加わり、1931年の『今日の問題』、1933年の『ヨーロッパの問題』などの評論も発表した。エドゥアール・ダラディエの急進社会党と近く、人民戦線を支持して、スペイン内戦のフランコナチスヒトラーへの宥和政策に反対した。
1936年から1941年まで、国際ペンクラブの会長を務めた。
1939年第二次世界大戦開戦とともにアメリカ合衆国へ亡命し、反ナチズムをラジオで訴え、1941年からはメキシコで、在ラテンアメリカ・フランス人協会(IFAL)を組織した。
1945年、シャルル・ド・ゴール首相やジョルジュ・デュアメルに薦められ、アカデミー・フランセーズ会員への立候補をメキシコで表明し、翌1946年11月7日に認められ、同年帰国した。
1962年には、アルジェリアの独立を進めるドゴール大統領を、支持した。
その後も、1970年の回想録『友情と出会い』に至るまで、執筆活動を続け、1972年、パリに没した。
レジオンドヌール勲章二等を贈られている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジュール・ロマン」の詳細全文を読む




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