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ジョアン・カレノ ( リダイレクト:フアン・カレーニョ ) : ウィキペディア日本語版 | フアン・カレーニョ
フアン・カレーニョ(''Juan Carreño'', 1909年8月14日 - 1940年12月16日)は、メキシコのメキシコシティ出身のサッカー選手。メキシコ代表草創期の名選手であり、オリンピックとFIFAワールドカップの両方において、メキシコ代表初のゴールを挙げた選手として知られる。 == 経歴 == 1925年にアトランテFCに入団。1928年のアムステルダムオリンピックに出場し、初戦のスペイン戦(オリンピスフ・スタディオン)で、0-6で迎えた後半31分に、オリンピックにおけるメキシコ代表の初ゴールを決めた(試合自体は1-7で大敗し、初戦で姿を消した)。1930年のFIFAワールドカップ第1回大会のメンバーにも選出され、初戦〔FIFAワールドカップとしても同時刻に行われたアメリカvsベルギー戦と並んで、第1試合目だった。〕のフランス戦(エスタディオ・ポシトス)で、0-3で迎えた後半25分に、W杯におけるメキシコ代表の初ゴールを決めた(試合自体は1-4で敗れた)。1934年のW杯予選メンバーにも選ばれたが、無得点に終わり、チームもアメリカとの最終試合(グループ11)に2-4で敗れ、1934年イタリア大会出場は成らなかった。これが最後の代表招集となり、代表通算成績は8試合2得点という記録を残している。 クラブでは、1931-1932シーズンのプリメーラ・フエルサ制覇に貢献し、1932年・1933年と2年連続して得点王に輝いた。1933-1934シーズンにはレアル・クルブ・エスパーニャに移籍し、同シーズンのプリメーラ・フエルサ制覇に貢献した。翌1934-1935シーズンにはアトランテFCに戻り、通算13シーズンもアトランテに在籍して活躍した。 しかし虫垂炎に罹り、1940年12月16日に31歳の若さで急死した。早過ぎる死にメキシコ国内はもとより、世界中から死を惜しむ声が相次いだと伝わる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フアン・カレーニョ」の詳細全文を読む
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