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ジョアン・ディクソン・カルバリオ : ミニ英和和英辞書 | ジョアン・ディクソン・カルバリオ
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ジョアン・ディクソン・カルバリオ : ウィキペディア日本語版 | ジョアン・ディクソン・カルバリオ
ジョアン・ディクソン・カルバリオ(João Dickson Carvalho, 1952年12月29日〔『日本サッカーリーグ全史』 日本サッカーリーグ、1993年、253頁。〕 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。登録名は「カルバリオ」。 == 来歴 == セルジオ越後の勧誘を受け1975年に日本の藤和不動産サッカー部(後にフジタ工業クラブサッカー部と改称、現在の湘南ベルマーレ)に加入。セルジオは程なくしてクラブを離れるが、エースストライカーとしてマリーニョやセイハン比嘉らのブラジル人選手と共に1977、1979、1981年に日本サッカーリーグ制覇に導き、黄金時代を築いた。カルバリオ自身も1977、1978年には得点王に輝いた。日本リーグ通算117得点は歴代2位(1部通算77得点は歴代3位)。1977年の23得点は日本リーグの1シーズン最多得点記録である。 引退後は奥寺康彦の主催したサッカースクールのコーチを務めた(この間に『ビートたけしのスポーツ大将』のサッカーコーナーにカルロス・ニコトラと共にたけし軍の助っ人として出演経験もある)が、その後ブラジルへ帰国。コーチングライセンスを取得し兄が会長を務めるサンパウロ州リーグ2部(Campeonato Paulista da Segunda divisão、4部リーグに相当)のバレットスECのディレクターを務めている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョアン・ディクソン・カルバリオ」の詳細全文を読む
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