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ジョシュア・デビッド・ウィリンガム(Joshua David Willingham, 1979年2月17日 - )は、アメリカ合衆国・アラバマ州フローレンス出身の元プロ野球選手(左翼手)。右投右打。メディアによってはウィリングハム、ウィリンハム等の表記も散見される。 == 経歴 == === マイナー時代とマーリンズ時代 === 6月5日のMLBドラフトでフロリダ・マーリンズから17巡目(全体491位)指名を受け、6月8日に契約が成立した。この年からA-級ユーティカ・ブルーソックスでプレーを始める(65試合出場)。外野手としての出場が最も多かったが、それ以外にも一塁手・二塁手・三塁手・遊撃手も務めた。 は、三塁手にコンバートされ、A級ケーンカウンティ・クーガーズで97試合出場。、一塁手にコンバートされ、A+級ジュピター・ハンマーヘッズで107試合に出場した。、今度は捕手にコンバートされ、ルーキー級・A級・AA級トータルで83試合出場した。 は、AA級カロライナ・マドキャッツで112試合 ・ 打率.281 ・ 24本塁打 ・ 76打点 ・ 出塁率.434 ・ OPS.999と言うハイレベルな数字を叩き出し、サザン・リーグのオールスターにも出場した。7月6日のピッツバーグ・パイレーツ戦においてメジャーデビュー。五番左翼手でスタメン起用され、3打数無安打 ・ 1三振に倒れたが、7月18日、6番捕手として先発出場した試合において、パイレーツ相手に初本塁打を放っている。 は、A+級・AAA級トータルで68試合 ・ 打率.320 ・ 出塁率.450 ・ OPS 1.112と更なる成長を遂げ、7月10日フューチャーズ・ゲームに選出された〔Awards/Honors: ''MiLB.com ,'' 2008年3月4日閲覧。〕。再昇格を果たし、わずか23打数のみだったが7安打を放って、打率.304を記録した。腕の負傷によりDL入りも経験したが〔Scouting Report , Transactions / Injuries / Suspensions ''sportsnet.ca ,'' 2008年3月4日閲覧。〕、翌年に望みを繋いだ。 は、キャンプの時点では、サンディエゴ・パドレスから移籍して来たミゲル・オリーボと正捕手の座を争う事になっていた〔『月刊スラッガー』 2006年12月号 43頁。〕。が、前年オフのファイヤーセールのため外野手不足というチーム事情から外野に転向〔、開幕戦から正左翼手に定着した。このコンバートが成功し、主に4・5番に座り、チームの主砲ミゲル・カブレラと並ぶ26本塁打を放つ活躍を見せた。特に7・9月は3試合連続本塁打を放ち、8月1日にはメジャーを代表するクローザーの1人であるビリー・ワグナーから代打サヨナラ本塁打を放つなど、持ち前のパワーを発揮した。その活躍が評価され、新人王の投票では1ポイントを獲得、9位に入るなど飛躍のシーズンとなった。 は主に4番に座り、9月に背中を痛めるアクシデントに度々襲われたものの〔、主砲カブレラの擁護役として2年連続20本塁打以上となる21本塁打 ・ チーム2位の89打点を記録した。また、16死球はリーグ3位、得点圏打率.345はリーグ4位であった〔『月刊メジャー・リーグ』 2008年3月号 59頁。〕。打率は下げたが、出塁率は上がり選球眼が向上した〔ALL GRAPHS , SEASON GRAPHS ''FANGRAPHS ,'' 2008年3月4日閲覧。〕。守備面でも、補殺を前年の約2倍となる9に増やし、失策を前年の1/3となる3に減らすなど成長を見せた。 2月22日、1年契約が成立した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョシュ・ウィリンガム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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