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ジョシュ・バーネット : ミニ英和和英辞書
ジョシュ・バーネット[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョシュ・バーネット : ウィキペディア日本語版
ジョシュ・バーネット[ちょうおん]

ジョシュ・バーネットJosh Barnett1977年11月10日 - )は、アメリカ合衆国男性総合格闘家プロレスラーワシントン州シアトル出身。CSW所属。ブラジリアン柔術黒帯。現無差別級キング・オブ・パンクラシスト。元UFC世界ヘビー級王者。
ニックネームは「ザ・ウォーマスター」、「ザ・ベビーフェイスド・アサシン」(ベビーフェイスの暗殺者)。また、漫画アニメをこよなく愛し、おたく文化にも造詣が深く、特に『北斗の拳』のケンシロウの熱烈なファンであることから、日本では「蒼い瞳のケンシロウ」、「世界最強のオタク」の異名を持つ。
K-1 ROMANEXではボブ・サップを指導したことから、「野獣の調教師」と紹介されていた。
== 来歴 ==

=== 総合格闘技 ===
レスリング柔道ムエタイを学び、1997年に18歳でプロ総合格闘技デビュー〔ジョシュ・バーネット SRC公式サイト〕。
1999年9月、SuperBrawl 13のヘビー級トーナメントで優勝を果たした。
2000年2月、SuperBrawl 16でUFCスーパーファイト王者のダン・スバーンに一本勝ちを収めた。
2000年3月、ADCC 2000の99kg以上級と無差別級に出場し、どちらも1回戦で敗退した
2001年2月23日、「UFC 30」でペドロ・ヒーゾにKO負け。キャリア11戦目で初黒星を喫した。同年6月29日の「UFC 32」では無差別級キング・オブ・パンクラシストセーム・シュルト腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
2002年3月22日、「UFC 36」でUFC世界ヘビー級王者ランディ・クートゥアをTKOで下し、史上最年少で王座獲得に成功した。試合後の薬物検査でステロイドの陽性反応が検出されたため、7月26日にUFCから王座を剥奪された。これに関して、ジョシュは禁止薬物(ステロイド)使用については否定しているが、その前駆体であるプロホルモンについては摂取したことを認めている。このドーピング疑惑については、試合後のPRIDE移籍を臭わせた彼の発言に対する制裁ではないかとの見方もあった。同年8月28日、「Dynamite!」でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦したボブ・サップのセコンドに付き、試合に勝って喜ぶノゲイラに対し「オマエハ モウ シンデイル」と日本語で挑戦表明した。
2003年5月2日、新日本プロレス主催「ULTIMATE CRUSH」にてジミー・アンブリッツと対戦し、グラウンドでの打撃によるタップアウトでTKO勝ち。8月31日、無差別級キング・オブ・パンクラス王座決定戦で近藤有己と対戦し、ジャーマン・スープレックスを連続で決めるなどし、最後はチョークスリーパーで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。10月13日の「ULTIMATE CRUSH」では高橋義生に腕ひしぎ三角固めで一本勝ちを収め初防衛に成功。12月31日の「INOKI BOM-BA-YE 2003」ではセーム・シュルトに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め2度目の防衛に成功した。
2004年5月22日、「K-1 ROMANEX」にてレネ・ローゼにマウントパンチでKO勝ち。同年10月31日、PRIDEデビューとなった「PRIDE.28」でミルコ・クロコップと対戦するが、開始早々に左肩を脱臼。1R46秒、自身初のタップアウト負け。ケガが癒えた翌2005年10月23日の「PRIDE.30」で再戦するが、フルラウンドの攻防の末判定負け。

2006年2月26日、「PRIDE.31」で中村和裕と対戦、1Rにチョークスリーパーで一本勝ち。ジョシュはPRIDE初勝利を収めた。同年5月5日、「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦」におけるグランプリ1回戦でエメリヤーエンコ・アレキサンダーと対戦、激しい打撃戦の末、相手のスタミナが切れたところでテイクダウンを取りV1アームロックでタップを奪う。同年7月1日、「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND」におけるグランプリ2回戦でマーク・ハントと対戦、1Rにチキンウィングアームロックで一本勝ち。同年9月10日、「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦」におけるグランプリ準決勝で、Dynamite!での対戦要求以来4年越しとなるアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの対戦が実現。PRIDE史上に残る寝技対決となり、判定2-1で勝利。その後決勝戦にてミルコ・クロコップとの3度目の対戦に挑むが、1Rにパウンドでギブアップ負けを喫し準優勝に終わった。同年10月21日、「PRIDE.32」においてUFC以来の母国アメリカへの凱旋を果たし、パウエル・ナツラと対戦、2Rにアンクルホールドで勝利を収めた。同年12月31日、「PRIDE 男祭り 2006」においてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの再戦を行ない、0-3の判定負け。
2007年12月9日、フィリピンマニラにて開催された「リング・オブ・ファイヤー」にチームジョシュ・バーネットのコーチとして参加(自身は試合なし)〔[パンクラス] 12.9 マニラ:近藤&大石、ジョシュ流特訓の成果は? BoutReview 2007年12月7日〕。同年12月22日、4年4か月ぶりの参戦となったパンクラスで佐藤光留とキャッチレスリングルールで対戦し勝利。
2008年3月5日、戦極旗揚げ戦「戦極 〜第一陣〜」のメインイベントで吉田秀彦と対戦、1Rにバックドロップで投げるなどし、3Rにヒールホールドで一本勝ち。同年5月18日、前回に引き続き「戦極 〜第二陣〜」のメインイベントでジェフ・モンソンと対戦、3-0の判定勝ち。
2008年7月19日、Affliction旗揚げ戦Affliction: Bannedでペドロ・ヒーゾと約7年半振りに再戦し、左フックによるKO勝ちでリベンジに成功、2009年1月24日に開催されたAffliction: Day of Reckoningギルバート・アイブルにマウントパンチでギブアップ勝ち。
2009年8月1日、Affliction: Trilogyエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦予定であったが、カリフォルニア州アスレチック・コミッションが実施した試合前のドーピング検査でアナボリックステロイドの一種であるドロスタノロンの陽性反応が検出されたため出場停止となり〔ジョシュ、ステロイド陽性でヒョードル戦中止 BoutReview 2009年7月23日〕、その影響で同大会は開催中止となった〔ジョシュ欠場の8月大会中止。UFCスポンサーに復帰? BoutReview 2009年7月25日〕。
2009年11月8日、世界ノーギ柔術選手権の黒帯ペサディシモ級に出場。1回戦、準決勝を勝ち抜き、決勝ではトレーニング・パートナーでもあるブルーノ・パウリスタと対戦し、レフェリー判定で優勝を果たした〔【柔術&グラップリング】 ジョシュ・バーネットが優勝!ノーギ・ワールズ2009 格闘王国 2009年11月9日〕。
2010年3月22日、DREAM初参戦となったDREAM.13で自身の練習パートナーでもあるマイティ・モーと対戦。金的で試合が中断される場面もあったが1Rにアームロックで一本勝ち。
2010年、オーストラリアの「Impact FC」に参戦。7月10日の旗揚げ戦ではメインイベントでジェロニモ・ドス・サントスにマウントパンチでTKO勝ちを収めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョシュ・バーネット」の詳細全文を読む




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