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ジョセップ・ボレル
ジョセップ・ボレル・フォンテジェス(カタルーニャ語:Josep Borrell i Fontelles ジュゼップ・ブレイ・フンテーリャス、1947年4月24日 - )は、スペインの政治家。2008年12月12日に欧州大学院の次期総長に指名され、2010年1月からその任に就いた。またボレルは2004年7月20日から2007年1月15日まで欧州議会議長を務めた。選挙ではスペイン社会労働党から立候補したことにより、欧州議会では欧州社会党の会派に属し、また同会派のスペイン出身議員団の代表を務めていた。2007年1月から開発委員会の委員長を務めている。 議長選挙では投票した700人の議員のうち、1回目の投票で388票という絶対多数を獲得した。このときの投票ではボレルのほかにポーランドのブロニスワフ・ゲレメクが208票、フランスのフランシス・ヴュルツが51票を獲得していた。この投票では保守系会派である欧州人民党との合意が成り立っており、ボレルが2004年7月から2年半の議長を務め、その後2007年1月から2009年7月までの2年半はドイツのハンス=ゲルト・ペテリングと交替する約束が交わされた。 == 人物 == ボレルは父親が経営していた小さなパン屋のあったカタルーニャ州ラ・ポブラ・ダ・セグールで生まれ育つ。基礎教育は読書で補われていたが、リェイダで中等教育を修了した。ボレルはバルセロナで工業会計を学んでいたが、1年後の1965年にバルセロナを離れ、マドリード工科大学で航空工学を専攻し、1969年に同大学を卒業した。このころボレルはマドリード・コンプルテンセ大学でも経済学を学んでいた。1969年夏、ボレルはイスラエルのキブツに参加し、そこでのちに妻となるフランス人のカロリーナ・メイヨールと出会う。なおカロリーナとはその後離婚している。1975年、技師としてマドリードにある国営石油会社カンプサで働き、他方で同じ年に、当時非合法政党だった社会労働党に入党する。1979年、ボレルはマドリード議会の議員となり、1982年に社会労働党のフェリーペ・ゴンサーレス政権で、経済省において財政政策を担当する役職に抜擢される。1998年、ボレルは党内で2000年の総選挙で首相候補を決める予備選挙において、党首のホアキン・アルムニアに対抗して立候補したが、党内の圧力を受けて1999年に候補を辞退した。またボレルは同性愛に対する尊重を示す一方で、自らが同性愛者であるという噂を否定することに追われた[〕。2004年、首相で社会労働党党首のホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテーロはボレルに対して2004年の欧州議会議員選挙で社会主義系の候補の先頭に立って選挙戦に臨むことを打診され、この選挙で僅差で勝利した。] 1998年からボレルは元環境相のクリスティーナ・ナルボーナと恋人関係にある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョセップ・ボレル」の詳細全文を読む
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