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ジョゼフ・コニー (Joseph Kony, 1962年 - ) はウガンダの反政府勢力神の抵抗軍 (LRA) の指導者。霊媒であると主張し、聖書と十戒に基づく神政政権の樹立を掲げ、ウガンダ北部を中心として1987年以降残虐行為を伴い、また少年兵を使ってゲリラ闘争を続けている〔Profile: Uganda's LRA rebels , ''BBC News'', 6 February 2004.〕。 == 生い立ちと神の抵抗軍の結成 == コニーは母ノラ・アネク・オティング〔"Uganda rebel's mum in peace move " ''BBC News''. 24 July 2006.〕の子としてアチョリ地方西部グル県のオデクの村でアチョリ族の母子家庭に生まれた。父親については一切知らないと語っている。 高校で落第したコニーが初めて頭角を顕したのは1987年1月、26歳の時だった。コニーはラクウェナと名乗ったアリス・アウマの聖霊運動の影響でアチョリ地方で盛んとなった前千年王国運動の一つに参加していた。1986年に「ブッシュ戦争」がヨウェリ・ムセベニと国民抵抗軍 (NRA) によりアチョリ族出身のティトー・オケロ大統領を倒して終わると、アチョリの影響力の相対的な低下に対する憤りから北部で紛争が起った。 当初コニーのグループは統一聖救世軍 (UHSA)と名乗っており、NRA にとって脅威ではなかったが、1988年までにNRAとウガンダ人民民主軍 (UPDA) の停戦による残党の合流と少年兵の徴発により UHSA は侮れない抵抗軍となった。UPDAの残党のオドン・ラテク司令官などはそれまでの十字隊列での突撃や聖水の使用等の試みに反対し、通常の戦略を用いるようにコニーを説得した。USHAはNRAに対し小さいながら幾つかの勝利を得た。これに対しNRAは政治的な対応と北部作戦と名付けられた軍事作戦でUHSAの勢力を減退させた。 1992年までにコニーは軍勢を統一民主キリスト教軍に改名した。そしてこの頃44人の女学生を誘拐した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョゼフ・コニー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Joseph Kony 」があります。 スポンサード リンク
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