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ジョゼ1世(ポルトガル語:José I, 1714年6月6日 - 1777年2月24日)は、ポルトガル王国ブラガンサ王朝の国王(在位:1750年 - 1777年)。全名は''José Francisco António Inácio Norberto Agostinho de Bragança''で、「改革王」(''o Reformador'')と呼ばれる。ジョアン5世とその王妃マリア・アナ(神聖ローマ皇帝レオポルト1世の皇女)の息子。 ジョゼの兄ペドロはわずか2歳で死去したため、ジョゼが王太子に立てられた。1729年、ジョゼはスペイン王フェリペ5世の王女マリアナ・ビクトリアと結婚した。マリアナは音楽と狩猟が好きだったが国務を嫌っており、他人と政治について語ることはなかった。 1750年、ジョゼは父王の死去によって35歳で王位を嗣いだ。政治より教会やオペラに興味があったジョゼ1世は、セバスティアン・デ・カルヴァーリョ(ポンバル侯爵)に国政のほとんどを委ねた。ジョゼ1世の信任の下、ポンバル侯は経済・社会・植民地政策のすべてに辣腕を振るい、ポルトガルのヨーロッパにおける地位を向上させた。1758年にその独裁を嫌った貴族によってジョゼ1世とポンバル侯の暗殺未遂事件が発生すると、これを口実にポンバル侯は政敵を排除して専制を強めた。さらに陰謀に加わったとしてイエズス会をポルトガルから追放し、教会が持っていた公教育の支配権と莫大な財産を奪った。 ジョゼ1世の治世の出来事では、1755年11月1日に発生し、10万人の死者を出したリスボン地震が最も有名である。地震直後、ジョゼ1世は御者のいない馬車の中で王妃と共に残されたと言う。この災厄でジョゼ1世は、壁のある部屋では落ち着けないほどの重度の閉所恐怖症となり、宮廷をアジュダの丘に設置したテントに遷した(現在のアジュダ宮殿の位置)。しかし首都リスボンはポンバル侯の指揮の下、巨額の予算を投じて再建され、中心にはジョゼ1世の騎馬像が建てられた。 ジョゼ1世は1777年に死去し、王位は長女マリア1世と弟ペドロ3世の夫妻が嗣いだ。ポンバル侯を嫌ったマリアの即位により、その独裁も終わりを告げた。 == 子供 == 王妃マリアナ・ビクトリア・デ・ボルボンとの間には4女が生まれた。 *マリア・フランシスカ(1734年 - 1816年) 女王マリア1世 *マリアナ・フランシスカ(1736年 - 1813年) *マリア・フランシスカ・ドロテア(1739年 - 1771年) *マリア・フランシスカ・ベネディタ(1746年 - 1829年) 甥のポルトガル王太子・ブラジル公ジョゼと結婚 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョゼ1世 (ポルトガル王)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Joseph I of Portugal 」があります。 スポンサード リンク
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