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ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ(Joseph Sheridan Le Fanu, 1814年8月28日 - 1873年2月7日)は、アイルランド人の小説家。怪奇小説とミステリーを得意とした怪談作家であり、19世紀以降の短編小説のジャンルに大きな影響を与えた。 レ・ファニュはダブリンの貴族の家に生まれた。祖母アリシア・シェリダン・レ・ファニュと、彼女の兄リチャード・ブリンズリー・シェリダン(大伯父)はどちらも劇作家で、レ・ファニュの姪ローダ・ブロートンは小説家として成功した。 レ・ファニュはダブリンのトリニティ・カレッジで法を学んだ。1839年、彼は大学歴史協会の監査役に選出され、法廷へ出入りするようになった。しかし彼は法律の専門家になるのではなく、ジャーナリストになり、その後死ぬまで作品を発表し続けた。そのほとんどは「ダブリン大学マガジン」という月刊雑誌で発表され、同誌の発行部数増加に大きく寄与した。 1861年、レ・ファニュは「ダブリン大学マガジン」を買い取り、1869年まで編集の主幹を務めた。その間、以前にも増して同誌において多くの作品を連載形式で発表した。彼は晩年「ダブリンイヴニングメール」など、いくつかの定期刊行物を保有し、1873年2月7日に故郷のダブリンで亡くなった。生涯で遺した作品は、長編小説15篇、短編小説約80篇で、「短編長編ともにほとんど全部が恐怖、怪奇、犯罪、陰謀を題材にしたものばかり」(平井呈一)となっている。 レ・ファニュ作品の構想はよく練られており、また生き生きとしている。彼は読者に直接ショックを与えるよりも、話の流れで恐怖を感じさせることを専門とし、そのためにしばしばミステリーの形式を採った。その繊細な表現は、吸血鬼小説『カーミラ』などで非常に印象的である。 『カーミラ』(1872年)は吸血鬼小説として、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』(1897年)に多大な影響を及ぼした。そしてデンマーク人監督カール・テオドア・ドライヤーによる特異な傑作映画『吸血鬼』(1932年)の基礎として役立った。また初期の作品『Episode in the History of a Tyrone Family』(1839年)は、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』(1847年)に影響を及ぼしたと言われる。レ・ファニュはヴィクトリア朝期のアイルランドホラーの父であるとも呼ばれている。 == 作品リスト == * ''The Cock and Anchor'' (1845) * ''The Fortunes of Colonel Torlogh O'Brien'' (1847) * ''The House by the Churchyard'' (1863)(『墓地に建つ館』河出書房新社 2000年) * ''Uncle Silas'' (1864)(『アンクル・サイラス』創土社 1980年) * ''Wylder's Hand'' (1864)(『ワイルダーの手』国書刊行会 1982年) * ''Guy Deverell'' (1865) * ''All in the Dark'' (1866) * ''The Tenants of Malory'' (1867) * ''A Lost Name'' (1868) * ''Haunted Lives'' (1868) * ''The Wyvern Mystery'' (1869) * ''Checkmate'' (1871) * ''The Rose and the Key'' (1871) * ''Chronicles of Golden Friars'' (1871)(『ゴールデン・フライヤーズ奇談』福武書店 1990年) * ''Willing to Die'' (1872) * ''In a Glass Darkly'' (1872) * ''Carmilla'' (※) * ''The Purcell Papers'' (1880) * ''The Watcher and Other Weird Stories'' (1894) ※日本においてはこの『カーミラ』が最も広く知られているが、訳によって『吸血鬼カーミラ』『女吸血鬼カーミラ』『女吸血鬼カルミラ』『吸血少女カーミラ』などタイトルは異なる。少女向けジュブナイル作品の体裁をとることが多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シェリダン・レ・ファニュ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sheridan Le Fanu 」があります。 スポンサード リンク
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