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ジョゼフ・バーンビー : ミニ英和和英辞書
ジョゼフ・バーンビー[びー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee

ジョゼフ・バーンビー : ウィキペディア日本語版
ジョゼフ・バーンビー[びー]

サー・ジョゼフ・バーンビー(Sir Joseph Barnby 1838年8月12日 - 1896年1月28日)は、イングランド作曲家指揮者
== 生涯 ==
バーンビーはヨークに生まれた。父はオルガニストのトーマス・バーンビー(Thomas Barnby)である。バーンビーは7歳からヨーク大聖堂の聖歌隊に入り、王立音楽アカデミーではチプリアーニ・ポッターチャールズ・ルーカスの下で学んだ。
バーンビーは1862年ロンドンのセント・アンドリュー教会のオルガニストとなり、教会の礼拝の質を高めた。彼は1864年から『バーンビー合唱団』の指揮者となり、1871年シャルル・グノーの跡を継いで就任したロイヤル・アルバート・ホール合唱協会の指揮者職は、その後この世を去るまで務め上げた。彼は1875年イートン・カレッジの先唱者ならびに音楽監督となり、1892年にはギルドホール音楽演劇学校の校長となった。同年7月には、ナイトに叙されている。
バーンビーの作品にはオラトリオ「''Rebekah''」、「''The Lord is King''」(詩篇第97篇)や、多くの礼拝音楽、アンセム、246曲の賛美歌1897年にひとまとめに出版された)、パートソング(有名なのは「''Sweet and Low''」)、およびパイプオルガンのための楽曲がある。バーンビーはロンドンの聴衆に対し、あまり知られていなかったグノーの宗教音楽を普及させるのに大きな貢献を行ったが、一方で彼のオペラにはあまり実際的に共感を示していなかった。バーンビーは1884年ロイヤル・アルバート・ホールにおいて、ワーグナーの「パルジファル」の記念碑的な演奏会を組織した。1892年1895年には、カーディフ音楽祭の指揮台に上がっている。
バーンビーはロンドンで没し、セント・ポール大聖堂で特別礼拝が行われた後、〔訳注:1836年建設。ロンドンの7大墓地(en)のひとつに数えられる。〕に葬られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョゼフ・バーンビー」の詳細全文を読む




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